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検証「底辺校出身の東大生」第二弾 著者の父親の経歴の謎

検証「底辺校出身の東大生」著者の父親は結局小学校に行ったのか行かなかったのか。

おかげさまで結構バズりました。昨日のPVが2,623。 てなわけで、今日は続編。 「底辺校出身の東大生」著者の父親の経歴が謎すぎるのである。阿部幸大氏は、どうもいろいろ隠しているのではないかと思う。 「底辺校出身の東大生」こと阿部幸大氏はこういう。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353)
中卒の母親と小学校中退の父親という両親のもとに生まれ、一人息子を東京の大学に通わせるだけの経済的な余裕はある家庭に育った。
続編で明らかになったように「底辺校出身の東大生」の父は1925年(大正14年)国後島の生まれだそうだ。ところが益田甫さんの当時の国後島を描いた随筆にもあるように、国後島は東京からの移住者が居た。猪谷千春さんの父・猪谷六合雄さんも移住してきている。つまり、国後島はどこからか移住してきた人が多かったはずである。そういう人たちが意識高い系コミュニティを形成していたはずで、国の出先機関も複数あったようだ。

阿部幸大氏の父親も他の地域からの移住者ではないか。
ところが、阿部幸大氏はそれを全く書かないのですね。まるで日本の平均的な田舎みたいに思わせようとしている。

それから、阿部幸大氏は1987年(昭和62年)生まれだそうだが、父親の年はこの年実に62歳である。この年で第一子誕生というのはかなりレアケースではないか。父親の第一子誕生時の平均年齢は晩婚化が進んだ2016年ですら32.8歳である。昭和の頃はもっと早かったはずだ。

上に兄弟姉妹が居た可能性が高いのではないか。

https://allabout.co.jp/gm/gc/188784/
父親の第一子誕生時の平均年齢は32.8歳(2016年) 父親の第1子誕生時の平均年齢は32.8歳でした。つまり、パパは2歳くらい年上、というご夫婦が多いようですね。二人目出産、三人目出産の父親平均年齢は、それぞれ34.5歳、35.5歳でした
そして、国後島はご存知の通りソ連に占領され、1948年(昭和23年)までに日本人は北海道に強制送還されてしまった。阿部幸大氏の父もその時釧路に移住したのだろうが、この時に鳥取中学校の校区内に住み着いた理由が謎である。なぜか。

この地域は、明治時代に鳥取藩士が集団移住してきたところなのである。

縁もゆかりもない人が突然国後島から帰ってきて住み着くのは不自然である。

阿部幸大氏の父は鳥取に縁がある人だったのではないか。いや、ひょっとすると鳥取藩士の末裔ではないか。だとすれば文化資本の蓄積が他とは違うはずである。

検証「底辺校出身の東大生」著者の父親は結局小学校に行ったのか行かなかったのか。

現代ビジネスの阿部幸大氏の記事、「底辺校出身の東大生」はちょっと良くわからないところがある。
(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505?page=3)

  1. この方の御尊父は小学校に行ったのか、行かなかったのか?
第一に、私の父親が小学校中退であるという記述を奇妙に思った読者もいると思う。誤解を解く必要もあるので書いておくが、私の亡父は1925年に国後島で生まれており、学校に通っていない。ただし、数年間は出生届も提出されていなかったらしく、正確な年齢、誕生日、そして出身地も不明だった。
この短い一文だけで矛盾がいくつもあるのである。日本語として非常に疑問である。

「小学校中退」の私の父が
「学校に通っていない」とはどういうことだろうか。
「数年間は出生届も提出されていなかった」のに至っては、意味不明である。
「正確な年齢、出身地が不明」なのに「1925年、国後島生まれ」と断言している理由は?

小学校中退というのは小学校に入学してから中途退学していることを意味するのである。学校に入っていない人は中退とは言わない。

この著者の父親は結局小学校に行ったのか行かなかったのか。

さらに「数年間は出生届も提出されていなかった」というのだから、無戸籍者である。無戸籍者というのは国家に認知されていないのだから、義務教育に入る権利もないはずである。それとも当時の運用では無戸籍者でも小学校に入れたのだろうか?入学通知すら来るかどうか怪しいのではないか?

無戸籍者なのに1925年の国後島生まれとハッキリ分かっているのも謎である。数年後に出した出生届の記述なのだろうか。

著者の父親が小学校に無戸籍者のまま入れた理由が全くわからないし、そもそも入っているかどうかすらわからないのである。小学校入学時にさかのぼって手続きした可能性はあるが、だとすると今度は「正確な年齢、出身地が不明」という記述と矛盾するのである。小学校入学時に手続きできていれば年齢も出身地も分かるだろうから。しかし、小学校を中退させるような親がわざわざ手続きをしますかね?

1925年(大正14年)生まれの場合、1931年(昭和6年)6歳で尋常小学校に入学したはずであり、1937年(昭和12年)12歳で卒業するまでの間に中退しなければならない。

当時の国後島(北海道[千島国]国後郡)には、泊村と留夜別(るよべつ)村の2つの自治体があった。泊村には国後小学校、瀬石小学校、古釜布小学校、古丹消小学校、東沸小学校、秩苅別小学校の6つの小学校が有り、留夜別村にも乳呑路小学校、植内小学校、植沖小学校、礼文磯小学校、白糠泊小学校、代々別小学校の6つの小学校があった。彼が小学校を知らなかったわけではないだろう。この内のどこかの学校に行き、何らかの事情で中退したのだと考えるべきである。

なお、戦前の人は小学校中退者は結構居たので、その事自体はあまりおかしくはない。著名人で言えば松下幸之助も牧野富太郎も小学校中退である。

それから、数年間無戸籍児童がふつうにいるあたり、国後島はよほど行政組織が不完全だったような印象を与えるが、戦前の記録、益田甫『釣ところどころ』「千島探釣 国後島古釜布」

には、「島中央部の古釜布港に徴兵検査のために前日から馬を飛ばして若者が集ってくるそうだ」とあり、阿部氏の主張と食い違いがあるようだ。
益田氏は「温泉宿の夫婦がきれいな江戸弁で話していてびっくりした」とも書いている。当時、この地域は移民が多かったが、泊村古丹消に住み着いた猪谷千春氏の父・猪谷六合雄(くにお)氏もそうである。猪谷六合雄氏はここでゲレンデやジャンプ台まで自分で建設している。千春氏が生まれたのもここで、阿部幸大氏が言うような文化水準が極めて低い地域という話とはどうも違うようだ。

戸籍の強化は戦前の場合徴兵制度とリンクしており、

検査日がかなり前に告知され、前日から馬を飛ばして全島から集まってくるような地域で、

数年間も無戸籍児童が官憲の目を隠れて存在していたのであろうか?

第二に、私の周囲には平仮名を正確に書けない大人が複数存在した。彼らは1960年代のうまれである。日本には、そうした人がまだ歴然と暮らしている。
要するに無識字者が釧路に複数居たという証言である。

1960年代生まれで学齢期に1966~1976だった人が「ひらがなも正確に書けない」というのは流石に信じがたい。 読み書きテストの全国調査があるが、その話と矛盾するのである。

斎藤泰雄『識字能力・識字率の歴史的推移――日本の経験
という論文がある。これによれば、

1951年の全国調査での「かなさえ正しく読み書きできない者」の率は1.6%。これの多くは高齢者である。15歳から19歳はわずか0.1%である。

1961年の関東・東北地域の識字率調査では「漢字が読めない人の比率は関東0.1%、東北で0.8%」である。(流石にこの時期にはかなが正確に読み書きできない人は小数点二桁以下だったようだ、なお、追記しておくと、1961年の調査は関東・東北しか行われず、それ以後の調査は行われていない。)

戦前の教育は不十分だったので、まだまだ識字がヤバイ人がいたようだが、戦後の教育改革も有りどんどん比率は減少していたはずである。 

著者は前回の記事が批判されたので弁明のためにこれを書いたと述べているが、私が少し調べただけでもこれほど矛盾があるのはどんなものであろうか。

著者はこうも言うのだ。
もちろん、平仮名が書けない人などは、それこそ統計的にはごく少数である。だが問題はそこではない。そんな人など「いくらなんでも今の日本に存在するわけがない」と本気で信じてしまう「常識的」な判断は、私の書いた記事を――つまり私の人生を――単なる虚偽としか思わないような態度へとまっすぐに繋がっているということ、これが問題なのである。

いや、「小学校中退なのに学校に通っておらず出生届も数年間出ていなかった」「正確な年齢、出身地が不明なのに1925年国後島生まれが分かっている」という常識以前に「自分が言っている内容がすでに矛盾している」ような話を信じろ!俺の人生はウソじゃない!と言われてもねえ。

それゆえ、さらなる具体性をもった私の(恥ずべき)個人情報を、数値を含めてこうして公開することにした次第である。

ああ、でもその個人情報ってあなたの商売のために出してるものと違うか?貴方は個人情報を出さなければ出さずとも済んだのですよ。

「常識」を当たり前に生きることができる幸運に恵まれた人々にとって「底辺」が想像しにくいのは致し方ないが、誇張したところで何になるだろう。私が実名も顔も出身地も立場も明かしてこの記事を書いていることの意味を考えてみてほしい。そして社会学者でもない私には、自分の生きた過去しか武器がない。

芸人が過去を切り売りするようになったらオシマイだと言ったのは立川談志だが、あなたははじめから過去を切り売りする芸で世に出たのだ!禁じ手を行ったのは他のたれでもない、おのれではないか。
であれば武市三郎が他のプロ棋士から不利と言われ続けた筋違い角一本で生涯戦い続けたように、おのれの禁じ手芸で徹底的に勝負しなさい。

商売でやるのなら良い子ぶらずにもっと徹底的にやったら?私小説作家はもっと赤裸々に出すよ。
例えば、私小説の名作として吉本隆明をして太宰治の再来と言われた椎名誠『哀愁の街に霧が降るのだ』は、おのれの過去の話をヤンチャぶりまで含めて相当克明に描いているよ。

そして、その吉本隆明の批評すら作中でネタにしているよ。

阿部さん、あなたは、甘い。事実関係すら矛盾があるようでは、今後文壇でメシが食えると思わんほうが良い。講談社の編集部のできの悪さも困ったものだが、少なくともライター稼業のものがいちばん身近な身内の文章を書かせても間違いだらけというのはいかんでしょう。

この方、やたらに「運動」「格差」「立ち上がろう」を連呼するんだが、なにか浮ついていてあぶなっかしいですな。


私以外の方のこの「底辺校東大生」記事検証

bonotakeの日記「「底辺校出身の東大生」は本当に「底辺校出身」なのか」

初期からずっとこの問題を検証されてきたbonotakeさんのブログ。

『東大に入って絶望した田舎者』阿部幸大氏のウソを、彼の卒業した高校元教員が指摘

bonotakeさんがまとめた、阿部氏の母校の教師だったザリガニ先生の指摘ツイートのまとめ。

「底辺校出身の東大生」には何が「見えている」のか

釧路出身の西智弘氏のブログ。bonotakeさんが言われるように「冷静な筆致で、僕が書くよりも簡潔にまとめられている。」
地元の方の検証についてはザリガニ先生と西さんのものでほぼ話はついていると思います。
僕は歴史学的に阿部幸大氏の言説のファクトチェックをするだけ。

これまでの自分の検証記事

 Q&A 原田伊織のサムライエッセー批判まとめ(『明治維新という過ち』批判)


【炎上】こたつぬここと政治学者・社会学博士の木下ちがやさん、東日本大震災時の民主党など左派勢力を絶賛・自民党を罵倒して「それは違う」と炎上

こたつぬここと政治学者・木下ちがやさん、どうしたんですか。 これを見て僕は目を疑った。そもそも事実がおかしいのだからあっけなく炎上した。 自民党の震災時の支援を報じる当時のネットニュース記事が貼られてしまう。 後の経産相・世耕弘成氏のブログをニュース配信したものですね。 世耕弘成2011年03月28日 01:16 安倍元総理と被災地に救援物資を輸送:南相馬市、相馬市、新地町を激励訪問 http://blogos.com/article/10924/ さすがにアベノミクスの司令塔、用意が丁寧である。

同行した亀岡さんは後に内閣府政務官になられた方で、その後のボランティアについても記録しておられた。 http://jishin-syuki.blogspot.jp/2011/03/


麻生太郎現財務相は安倍現首相とは別ルートで支援していたようです。これも当時の相馬市の公式サイトに記事がありますね。

これはクリーンヒットですね。 これは茨城でもそうで、やはり民主党の影は薄い。 これを出されるとやばいですねー。 そういえば、こたつぬこさんのお仲間の白井聡さんの『永続敗戦論』でも、当時の菅直人政権の放射能予測システムのデータ隠蔽については激しく糾弾されているんですが、(講談社α文庫本P29)、その中枢に居た枝野幸男氏は称賛してよかったんでしょうか。 やはり民主党政権に逆らって事故収束に決死の行動を行った「死の淵を見た男」「フクシマ50(福島50死士)」筆頭の故・吉田昌郎所長のことは出てきてしまうよなあ。外国メディアが現代の赤穂義士(四十七士)だとか称賛していたわけですし。(http://www.spreadnews.de/japan-aktuell-die-50-von-fukushima-die-modernen-47-ronin/119578/)

木下ちがやさんという方はこういう方だそうです。(ウィキペディアより)
木下 ちがや(きのした ちがや、1971年 - )は、日本の政治学者、社会運動家。明治学院大学国際平和研究所研究員。各種デモ活動の法務なども務める。徳島県生まれ。中央大学法学部夜間部卒業後、2011年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。2013年論文「アメリカにおける治安法制と国家の正統性―自由主義体制における正統性の確立と動揺」で審査員中野聡、貴堂嘉之、吉田裕により一橋大学博士(社会学)。
専門は政治学で、東京慈恵会医科大学非常勤講師、工学院大学非常勤講師、明治学院大学国際平和研究所研究員、明治学院大学社会学部非常勤講師、千葉大学非常勤講師、東京女子大学非常勤講師などを務め、ポピュリズムの研究などを行う。また、2000年代から社会運動に参加し、レイシストをしばき隊で警察対応を行ったほか、各種デモ活動の法務なども務める。
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