群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

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"不運"と"踊"っちまったんだよ的な文体はいつ生じたのか?~『通俗続三国志』・魯迅・吉川英治の流れ

新年明けましておめでとうございます。

新年早々、こういう話題が出ていたのでちょっと調べてみた。

"不運"と"踊"っちまったんだよ…特殊なルビが海外では「DEEP-FURIGANA」と呼ばれて悩みの種らしい

  実はこの特殊ルビ、ネット上ではマンガ『特攻の拓』などでやたらに使われていることが話題になっているが、これに限らずラノベなどでも大変おなじみの表記である。

DEEP-FURIGANAの他、「義訓」(ぎくん)ともいうそうだ。

この表記の古い例は、中国の文語体演義小説を翻訳した「通俗物」(つうぞくもの)と言われるものに頻出する。 例えば、以前にも記事にした通俗二十一史の一つ『通俗続三国志』ではDEEP-FURIGANA(義訓)が以下のように出てくる。

「晋の中護軍司馬雅……真一文字に殺(キ)って入る
謀事(ハカリゴト)
「ようやくに草命(イノチ)を脱(マヌガ)れ得たり
「趙王が曰く、此計(コノハカリゴト)甚だ妙なり」
商議(ハカリゴト)

『通俗続三国志』は江戸時代の宝永元年(1704年)に訳されたもので、この本は相当普及したらしい。なお、『通俗続三国志』の元ネタは明の酉陽野史(ゆうようやし)の演義小説『三国志後伝』である。

明治に入ると『通俗二十一史』の一つとして早稲田大学出版部から出版され、昭和の戦時中ぐらいまでは読者がかなりあったようだ。

例えば外務官僚の故・岡崎久彦氏の回想によると、『通俗二十一史』は岡崎氏の幼少時の愛読書だったそうである。(1)

(1)http://bungonosono.or.jp/Okazaki3/33.htmlによる。 なお、『通俗続三国志』については三国与太噺さんが詳しい。本稿でも参考にさせていただいた。

この、「通俗物」(つうぞくもの)の影響が漢文及び現代中国語小説の翻訳にも影響し、更にそれが日本の戦国時代の時代小説にまで影響していくのである。時代小説は演義小説の影響下に成立しているから。

幾つか例をあげよう。 例えば魯迅の現代日本語訳でもこのDEEP-FURIGANA(義訓)はよく使われている。

魯迅『阿Q正伝』の井上紅梅[1881年(明治14年) - 1949年(昭和24年)]訳より
「ずいぶん蒼蝿(うるさ)い」
羅馬(ローマ)字」
郡望(まつり)
「今度こそ阿Qは凹垂(へこた)れた」
青竜四百(ちんろんすーぱ)!」
井上紅梅は大正・昭和期の中国文学者で、麻雀のルールを日本に紹介したり、魯迅作品の翻訳をしたりした。「当時最大規模の明代白話小説集『今古奇観』の翻訳を刊行し、他にも『金瓶梅』『儒林外史』の翻訳も確認されるなど、中国小説の受容におけるパイオニアとして多大な貢献をしている」(2)人物である。

この翻訳は1932(昭和7)年11月18日に出版された改造社版『魯迅全集』が底本。(3)

(2)勝山稔『改造社版『魯迅全集』をめぐる井上紅梅の評価について』東北大学中国語学文学論集 第16号(2011年11月30日)より引用。
(3)青空文庫の刊記より。

その後の吉川英治『黒田如水』(初出は「週刊朝日」朝日新聞社、1943(昭和18)年1月~8月)にもしばしばDEEP-FURIGANA(義訓)が出現する。

ただし、『通俗続三国志』や井上紅梅訳『魯迅全集』に比べるとDEEP-FURIGANA(義訓)の出現頻度は相当落ちる。恐らくこのあたりがDEEP-FURIGANA(義訓)の日本文学での末期ではあるまいか。
吉田城へ質子(ひとじち)を入れられよ
其許(そこもと)
悪戯(いたずら)ざかり
コノ若殿、魁(サキガケ)御在(オワセ)
与君一夕話(きみにあたういっせきのはなし)
このように並べていくと分かるように、用例の殆どが漢文や現代中国語を翻訳しようとした結果として、漢文書き下しをフリガナにしてしまったり、現代中国語をいきなりフリガナ(いわゆるカタカナ中国語)に置き換えてしまうために生じたものである。
これらの文体は現代日本語の文が洗練されていくに従って徐々に消滅していった。

DEEP-FURIGANA(義訓)に恐らく決定的な打撃を与えたのは当用漢字の制定と現代仮名遣いの普及であろう。当用漢字制定時に訓読みも相当制限され、これまでのような自由な訓読みができなくなったのがDEEP-FURIGANA(義訓)の衰退を促進したのではあるまいか。

さて、DEEP-FURIGANA(義訓)は逆になぜ文学作品から姿を消し、ラノベやマンガにだけ残ったのか?

ここからは筆者の推測であるが、恐らくこんなことがあったのではないだろうか。 戦後の文化の中で、外国語の翻訳から影響を受けた最も大きいジャンルはSF小説である。

そして、SF小説の翻訳時にDEEP-FURIGANA(義訓)が多用され、それがSFの影響を受けたラノベに残存したのではないか。

また、呉智英氏などが指摘するように、「不良の漢字好き」が昭和の文化としてあり、そういう人々が吉川英治『三国志』などの影響でDEEP-FURIGANA(義訓)をよく用い、それがヤンキー文化として残った……ということではあるまいか。

以上、まだまだ用例数も少なく推測も多いが、一応考えてみた。

【クリスマス企画】「信長の野望・全国版」に登場する戦国大名は江戸時代何をしていたのか調べてみた

あんまりクリスマス感はないのだが、懐かしゲーム「信長の野望・全国版」に登場する戦国大名は江戸時代、何をしていたのか?をちょっと調べてみた。戦国大名が江戸時代何をしていたのかについては、歴史学的にも蒲生真紗雄先生・小川恭一先生などの調査・研究があり、参考にさせていただいた。

まず、調査結果から。
 
国番号 国名 大名名 江戸時代
1国 蝦夷 蠣崎慶広 蝦夷・松前藩主
02国 陸奥 津軽為信 陸奥・津軽藩主
03国 陸中盛岡 南部晴政 陸奥・南部藩主
04国 陸中岩崎 葛西晴信
05国 羽後 秋田愛季 陸奥・三春藩主
06国 陸前 伊達輝宗 陸奥・仙台藩主
07国 羽前 最上義守 出羽山形藩主→近江・大森領主
08国 磐城 結城晴朝 越前・越前藩主
09国 岩代 葦名盛氏 出羽・角館領主家は無嗣断絶、支流が仙台藩士
10国 越後上野 上杉謙信 出羽・米沢藩主
11国 常陸 佐竹義重 出羽・久保田藩主
12国 下野 宇都宮広綱 水戸藩家老
13国 安房 里見義堯 旗本(150俵)
14国 武蔵伊豆 北条氏政 河内・狭山藩主など
15国 甲斐信濃 武田信玄 大和・郡山藩主(支流)、高家
16国 能登 畠山義綱 旗本(高家・3120石)
17国 越中 神保氏張 旗本
18国 飛騨 姉小路自綱 旗本(御書院番士・700石)、大阪夏の陣で奮戦
19国 木曽福島 木曽義昌 下総阿知戸藩主家は不行跡で断絶、女婿は木曽代官(7500石)として存続
20国 遠江駿河 今川義元 高家
21国 加賀 本願寺光佐 准門跡(十万石格)
22国 越前 朝倉義景 遠江掛川藩主→旗本
23国 美濃 斎藤義竜 旗本(勘定奉行・1000石)、義龍の弟の系統
24国 三河 徳川家康 徳川将軍家
25国 尾張 織田信長 出羽・天童藩主など
26国 伊勢志摩 北畠具教 旗本(小普請奉行・1100石)、具教の大叔父の系統
27国 近江 浅井長政 旗本(500石)
28国 伊賀 六角義賢 嫡流は高家だったが改易、支流は筑前藩・丹後藩など
29国 丹後若狭 一色義道 嫡流は断絶、支流が常陸土浦藩主
30国 丹波 波多野秀治 肥前藩士
31国 山城 足利義昭 下野・喜連川藩主
32国 大和 筒井順慶 旗本(江戸町奉行・1000石)
33国 摂津和泉 三好長慶 長慶の大叔父の系統は旗本(2,020石)、叔父の女系は出羽亀田藩主
34国 紀伊 堀内氏善 旗本
34国 紀伊 雑賀孫市 旗本→水戸藩士
35国 因幡但馬 山名豊国 但馬村岡藩主
36国 播磨 別所長治 伯耆八木藩主→旗本
37国 出雲伯耆 尼子晴久 長州藩士
38国 三備 宇喜多直家 八丈流人
39国 安芸長門 毛利元就 長州藩主
40国 讃岐 十河存保
41国 阿波 細川真之 別流が肥後熊本藩主
42国 伊予 河野通宣 支流が伊予小松藩主など
43国 土佐 長宗我部元親 酒井藩家老
44国 土佐中村 一条兼定 公家→明治神宮宮司
45国 豊前 城井鎮房
46国 筑肥 竜造寺隆信 肥前佐賀藩主
47国 豊後 大友宗麟 支流が筑後柳川藩主
48国 肥後 阿蘇惟将 阿蘇大宮司家
49国 日向 伊東義祐 日向飫肥藩主
50国 薩摩大隅 島津貴久 薩摩藩主

参考文献は蒲生真紗雄先生の新人物往来社「戦国大名諸家譜」所載論考・小川恭一先生『江戸の旗本事典』(講談社文庫・角川ソフィア文庫)などである。以下、個別に解説していこう。

まず、戦国大名がそのまま江戸時代の藩主になっているケースは、統一が遅れた東北と九州で多い。これは蒲生先生も指摘していることで、中央政権とよほど揉めない限り旧来の権力を維持できたのである。東北は葛西晴信以外全員江戸時代の藩主・領主・藩士として存続、九州も城井鎮房以外は全て何らかの形で支配者層として残ることが出来た。

これが中央に行くと話が違ってくる。まず本州中央部(中部・東海・近畿)の戦国大名で戦国大名がそのまま藩主として残れたのは、ほとんど居ない。旧領地で残れたのは徳川将軍家を除けば木曽家だけである(しかも支流)。

甲斐武田家が元禄時代に支流の柳沢家が甲府藩主に返り咲きを果たしたのが数少ない復活事例だろう(すぐ転封されたが)。前政権の子孫として、小藩でありながらも国主格として厚遇された織田家ですら、尾張への復帰はならなかった。

中央の戦国大名で多いのは、一旦滅亡した後、江戸幕府に再就職して奮闘し、高家・奉行クラスの地位を手にしている「サラリーマン武士」たちである。元会社社長の息子がリーマン稼業をやっているようなものだ。

畠山・今川・六角が高家、斎藤・北畠・筒井が奉行である。姉小路も御書院番士として大阪夏の陣で奮戦、なんとか家名を保った。

もっともこれとても、六角家のように不行跡で改易されている家もあるので、一概に安定していたとも言えない。出世競争は熾烈であり、江戸幕府もそれなりに能力社会なので、無能では奉行などにはなれなかった。斎藤家の子孫・松波政春が徳川吉宗の「元文の改鋳」に関わり、筒井政憲は名奉行として有名であった(政敵に図られて失脚していたこともある)。藩がつぶれて再就職した後も、生存競争を勝ち抜かねばならなかったのである。そんなに収入も高くないので、今のビジネスマンたちのように勤めが終わった後、赤ちょうちんやおでん屋で「なんだあの野郎コンチクショー」などとオダをあげていたような人たちである。それなりに結果も出しているのだが…なんというか、日本型サラリーマンの元祖みたいな人たちだ。

この他、地方の藩の家老クラスで再就職しているのが宇都宮・長宗我部など。幕臣たちより給料は良かった。

これ以外の再就職?としてちょっと面白いのが「僧侶・公家・神主」で、本願寺・一条・阿蘇のようにもともと武士ではなかった人々が、元の職業に復帰して江戸時代を過ごしているケースである。東西本願寺家は十万石の格式を与えられ、生き仏様として庶民から崇拝されたという。一説には百万石の収入があったと言うが本当ですかね。

もっとも再就職できた人はマシである。行方不明になってしまっている人も何人かいるのだ。葛西、十河、城井の三家はどうなったか良くわからない。 

徳川将軍家は「王」だった?!ー徳川将軍家に贈られていた漢風諡号の謎~

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[猷王(ゆうおう)・徳川家光の廟『大猷院廟』(たいゆういんびょう) 栃木県日光市、国宝及び世界遺産指定。
画像はウィキペディアのフリー画像を使用]

これが『烈祖成績』・『三王外記』・『続三王外記』・『文恭公実録』が書いている徳川将軍家の贈り名の唐名。

1、烈祖(神祖)・家康
2、徳王・秀忠
3、猷王(ゆうおう)・家光
4、荘王・家綱
5、憲王・綱吉
6、文王・家宣
7、章王・家継
8、徳王・吉宗
9、惇王・家重
10、浚王・家治

一見、なんというか「十二国記」か中国周王朝の王号みたいですが、これなんと徳川将軍の王号。
「台徳院」「大猷院」などの朝廷から贈られた諡号(シゴウ、贈り名)を中国風に呼んだものです。
漢学者が漢文で史書を書く時に好んで使っていたようです。
『烈祖成績』・『三王外記』・『続三王外記』・『文恭公実録』はいずれも漢学者が書いた私撰(自分で書いたもの)の書で、非公式な内容なのでこういうことが書けたのかもしれません。『三王外記』は太宰春台の作ではないかと言われており(非公式なアングラ出版で「訊洋子」(じんようし)というペンネームを使っている)、それを書き継いだ『続三王外記』・『文恭公実録』も同様です。(『文恭公実録』だけは著者が明治政府に出仕しているので著者が明らかになっている)。

家康の諡号が「烈祖」なのが意外というお話があり、正直私も意外と言えば意外なんですけど、そう言えば徳川斉昭の諡号も「烈公」なんですよ。徳川家は「烈」って言う字が好きなんじゃないかな。 

なお、この漢風諡号に王を使うのは家治までで、「徳川将軍は諸侯なのになんで王なんだ!不敬だ!」という国学者からの批判もあり、11代将軍、文恭院・徳川家斉は没後「文恭公」と呼ばれています(五弓久文『文恭公実録』序)。諡号が朝廷から贈られるのも14代までで、15代慶喜にはありません(神式葬儀だったため戒名もない)。


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