群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

webディレクター兼雑誌記者の松平俊介が書いているブログです。

web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

平清盛 第一回 簡単な感想

(あらすじ)インターネットTVガイドより 一部加筆して改めた。
 1118年の京都。平安の世は乱れ、武家の一門・平氏の嫡男である平忠盛(たいらのただもり、中井貴一)は、盗賊の捕縛などの仕事に就いていた。公家からバカにされ、汚れ仕事である盗賊追討をさせられる毎日に、忠盛は徒労を感じていた。そんなある日、忠盛は物乞いの姿をした舞子(吹石一恵)と出会う。舞子は白河院の御所に出入りする白拍子で、時の最高権力者・白河法皇(伊東四朗)の子を身ごもっていた。鳥羽天皇(三上博史)の中宮・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ、檀れい)の体調が優れないことから、舞子の子は不吉な存在とされ、彼女は追っ手から逃げていたのだ。忠盛にかくまわれた舞子は、忠盛の家の納屋で赤ん坊を産む。平太と名付けられたその子こそ、後の清盛(松山ケンイチ、子役は前田旺志郎)だった。
 忠盛と舞子は愛しあい、短い幸せな時を過ごすが、その幸せは長く続かない。舞子を追っていた源氏の棟梁・源為義(小日向文世)が舞子を捕え、院庁に引き据えたのだ。舞子の姉分で、白河法皇の寵姫であった祇園女御(ぎおんのにょうご、松田聖子)、そして忠盛は代わる代わる助命を嘆願する。しかし白河法皇はそれを許さず、子供だけを許しただけだった。忠盛は大いに怒り、法皇を強く諌めた。しかし法皇は許さず、院の近臣は忠盛もろとも舞子を殺そうと一斉に弓を構えた。
 その時、舞子は立ち上がり、自分で死を選んだ。「この子にいい名をつけてあげて下さい」と言い残して…
成長した平太は父・忠盛の海賊討伐を見て育つ。一人で海賊船に飛び乗り、海賊をやっつけてしまう忠盛は平太のあこがれの人であった。忠盛の忠臣、平家貞(中村梅雀)や平家の武士たちも平太をかわいがった。祇園女御も平太を何くれとなく面倒を見、遊んであげていた。平太は父のマネをして剣術の稽古をし、女御と双六をする活発な子供に育った。女御いわく「この子は双六が強い子。舞子もそうだった」

やがて平太には新しい母と弟ができた。有る時、弟を泣かせてしまい、継母に平手打ちされた平太は出生に疑問を持つ。可愛がってくれる祇園女御の元へ駆け込み「私の父は誰ですか」と泣き叫んでいる所へ、白河法皇が来た。
「犬の子が入ってきよるわ!つまみだせ!」叩き出されてしまう平太。
 やがて泣き疲れ、京都の門の門前でどろんこになって寝ていた平太を、忠盛が見つけた。家出した平太を探していたのである。「お前は白河法皇の息子で、今は俺の犬だ、今は平家の弱い犬だ!死にたくなければ強くなれ!」忠盛は平太を叱咤激励する。(あらすじ終わり)

初回ということで顔見世興行的な話ではありましたが、なかなか面白かったのではないでしょうか。歴史的に見た場合にはどうなのか、この時代を専門とする歴史学者・元木泰雄先生の「平清盛の闘い」(角川文庫)によりますと。
・平清盛の母親は1120年に死去した「仙洞辺の女房」(白河法皇の周りの侍女)だと思われる。
・この女性はよく分からない人である。平家物語は祇園女御だとしており、近江胡宮文書では祇園女御の妹とするが荒唐無稽である。高橋昌明氏の研究では藤原為忠の娘ではないかとしている。
というわけですから、まあ今日の大河ドラマのお話は相当脚色されております。まあ時代劇ですから。
待賢門院璋子の侍女で、百人一首にも出てくる待賢門院堀河が出てましたね。

忠盛が公家からバカにされていたのは史実といっていいでしょう。海賊追討も史料にあることです。松田聖子さん演じる祇園女御は史実でも清盛の義理のお母さんでありましたから、平太坊やを可愛がるのは分からないではない。まあ歴史をドラマ化したらこんな感じかなあという所ですね。ちょっと偉そうだけど及第点かなあ。

(でも舞子を院庁で射殺するのは変ですね、本郷和人氏も述べておりましたが院庁を血で汚すというのはあり得ないことです、別の場所に連れて行って処刑するのが普通と思います)。

役者では、やはり忠盛を演じる中井貴一さんでしょう。あの人は上手い人ですね。海賊討伐の時のアクションもこなしておりました。いきなりワイヤーアクションを使って空手みたいな技で海賊を叩きのめすのは、カンフーアクションバリバリの華流時代劇にも出ている、この人らしい。時代劇デビュー当時は散々柔道の稽古をやらされたということですが、やっぱりいい役者さんです。
あと、松田聖子さんが以外といっちゃなんですが、綺麗だし、上手いんですね。他の女優さんは平安時代風の感じがまだ出ていないのですが、この方だけ平安の姫君を自然にできているなあ、という感じで…
子役の前田旺志郎くんも大変上手でした。アレは中々大変な役ですよ。中村梅雀さんが上手いのはいつもながら素晴らしいですね。

あまりうまくない方もおりまして、初回なのでベテランの役者さんでも中々難しいのだろうと思いました。源為義役の小日向文世さんは余りにも小物感を出そうとしていささか鼻に付いているきらいがあります。伊東四朗さんは意識しすぎと言うか重々しすぎてどうなんだろうと思いました。後、舞子役の吹石一恵さんは体当たりの熱演でありましたが、ちょっと性格が飲み込めなかった。

全体的に見て面白いですよ。

大河ドラマ「平清盛」ネット視聴率を計算する ネット視聴率速報値は31.6%

大河ドラマ「平清盛」が今日から放映された。中々良かった。
で、ビデオリサーチからの視聴率情報はまだ出ていない。
試みに簡単な多変量解析を行い、ネット上で検索している人と、2ちゃんねる掲示板で実況していた人の書き込み数を元として、簡単なネット視聴率(世帯視聴率)の速報値を計算してみた。

結果は31.6%。一般的な放送の2割台は越え、「家政婦のミタ」「紅白歌合戦」のようなお化け番組のような4割以上の数値より下ということで、大体妥当な数値ではないだろうか。野球中継やサッカー中継の大きい試合だとこのぐらいの視聴率は結構普通に出る。簡易的な統計に基づく演算に過ぎないからマーケティングには使えません。

一応、計算式が入ったエクセルファイルの画像を上げておきますので、ご興味が有る方は見てみてください。
エクセルファイルをあげられるところはどこかに無いですかね?
979b852f.png

古文観止(こぶんかんし)

古文観止(こぶんかんし)とは、漢文のジャンルの内「古文」の名作ばかりを集めた、いわば「漢文名作集」である。タイトルを今の日本の新書風に訳せば、「漢文、この名作は観(み)ておけ!」とでもなるだろうか。いわば、絶対に読んでおくべきだと編者が考えた文章ばかりを集めてあるのである。編者は清の呉楚才。成立は清の康熙三十四年(西暦1694年)。

成立年代の西暦1694年は、日本で言えば元禄7年、高田馬場で堀部安兵衛が助太刀をした年だ。ちょっと前のNHK正月ドラマにもなったからご存知の人も多いだろう。いわゆる高田馬場の決闘である。池波正太郎の名作「堀部安兵衛」が原作であった。

その前の年には新井白石が甲府藩に仕えている。藤沢周平が「市塵」で描写しているあたりである。

忠臣蔵の吉良邸討ち入りはこの8年後、という所から時代背景を察してもらいたい。

 儒者で言えば、古学の祖・伊藤仁斎は京都堀川の古義堂で弟子3000人に論語・孟子を講じつつあり、
前々年、元禄5年に千葉の茂原から江戸に出てきた荻生徂徠は、芝増上寺の裏、後の昭和三十年代に東京タワーが立って三丁目の夕日の舞台になる所の当たりで、知り合いの屋敷からもらってきた古文辞学の本を苦労して学んでおり、お豆腐屋さんからおからをもらって食いつないでいた頃である。

中国も康熙帝の御代、江戸時代の日本と同じくひどく平和であった。

春秋左氏伝、戦国策に始まり明の文章まで二百二十二篇を集めている。中国では非常によく読まれた本だが、日本では余り受けなかった、というよりほとんど無名の本である。なぜか。
既にこの頃、江戸では同様の古文名作集である、元の黄堅が編んだ「古文真宝(こぶんしんぽう)」が大流行しており、カチンコチンの人間をからかって、「古文真宝なやつだ」などというしゃれ言葉があったぐらいである。
それと内容が重複し、かつ「古文観止」の方が余り有名でない作品が多いのである。
例えば、この本が出て100年後の元文5年[西暦1740年]には、京都堀川の書店から「諸儒箋解古文真宝後集」(しょじゅせんかい・こぶんしんぽう・こうしゅう)という本が出ている。古文真宝に更に注釈をつけた本であるが、これは相当売れたらしい。この本は重版である。今でも神保町でたまにワゴンセールされているが、以前ついていた値段は500円だった。要するにたくさん売れたので骨董的な価値はゼロなのである。画像は早稲田大のホームページにある。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i13/i13_00993/index.html

●古文真宝と古文観止
古文真宝と古文観止を比べると、なんと古文観止には南宋の文章がスッポリと抜けているのである。北宋もなぜか唐宋八大家以外はほとんど取っていない。朱子学関係は全て抜けている。朱子学で有名な張載(張横渠)の「西銘」「東銘」、周敦頤(周茂叔)の「愛蓮の説」が落ちている。これは意図的なものだろう。王陽明の文章が3つ入って朱子学関係が0というのは、わざと以外は考えにくい。呉楚才というヒトは隠れ陽明学者か何かで、当時おおっぴらにいえなかった陽明学を宣揚するために、わざとこのようなものを作ったのかと思うくらいだ。

周茂叔の「愛蓮の説」は日本人が割りと好きな漢文で、蓮の花を詠った文章として、良く読まれている。レンコンの和菓子のパッケージにこれを書いたものがあるくらいだ。これが落ちているとちょっと売れないだろう。その代わりに明代の方孝孺(ほうこうじゅ)の「予譲論」などが入っているのですね。予譲は史記に登場する刺客の一人。日本では全く人気がない。山本周五郎が予譲を徹底的にバカにした「よじょう」という、小説を書いているくらいである。これはダメでしょう。
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