群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

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web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

江戸川区の仏像

東京にも数多くの仏像があることは、余り知られていない。ただ、最近の仏像ブームや下町ブームの影響からか、書籍も少しづつ出てきたようだ。その中でも良著といっていい、学習研究社の「東京近郊仏像めぐり」を元に、あちこちの古寺を廻っている。今回は江戸川区の古寺の内、五分一不動尊光福寺と、区指定文化財阿弥陀如来を蔵する金蔵寺について、ちょっと書いてみたい。

東京近郊仏像めぐり―日帰りで行ける!東京圏「観仏」ガイド (Gakken Mook)東京近郊仏像めぐり―日帰りで行ける!東京圏「観仏」ガイド (Gakken Mook)
(2009/10)
不明

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五分一不動尊 光福寺(江戸川区松島1-9-24)
珍しい立体曼荼羅、五大明王を蔵する寺である。立体曼荼羅というと、京都教王護国寺の21体ある仏像群は大変有名だが、東京でも少なくとも3ヶ所に立体曼陀羅があることは余り知られていない。すなわち品川区の「大井の大仏」こと如来寺の五智如来(大日如来、薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来)と、ここ五分一不動尊 光福寺の五大明王、中野区宝仙寺の五大明王である。そもそも仏像を1体作るだけでもお金が相当かかるので、五体以上作る立体曼荼羅は殆ど作例がない。日本各地を見ても、青森最勝院(五智如来)、奈良室生寺(五智如来)、奈良不退寺(五大明王)等、寥々たるものである。

ここにはその貴重な五大明王がおられるのである。一度お参りしたいものだ。


欧陽修書簡の新規出現

二十四史のうち、新唐書・新五代史の2つの撰者である欧陽修の新しい資料が発見されたそうだ。
以下、西日本新聞の報道。


欧陽修の書簡“発掘” 中国・宋代屈指の文人 「人柄知る資料に」 九大・東教授
(2011年10月4日 00:20)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/266560
 中国・宋代の文人、欧陽修(1007-72)の研究者である九州大大学院比較社会文化研究院の東英寿教授(中国文学)は3日、欧陽修の書簡96編を発見したと発表した。人物像を把握する貴重な資料として日中の研究者に注目されそうだ。欧陽修は詩人や政治家として知られ、唐から宋にかけて活躍した「唐宋八大家」の一人。高校の世界史の教科書にも登場する。(中略)


要するに、欧陽修の全集「欧陽文忠公集」には最古版本が3つあるが、そのうち天理図書館蔵のものは他の2つと違い、全集編纂後に加筆された部分があったことがわかったのだという。記事では、「天理図書館の原刻本を詳細に調べると、書簡96編が含まれていることが分かった。周必大が手掛けた全集は完成後も加筆されており、書簡96編も書き足されたと考えられる。書簡の内容を分析中の東教授によると、同時代に活躍した文人の蘇洵の作品を褒めるなど欧陽修の人柄がうかがえるという。」とある。

蘇洵は勿論唐宋八大家の一人で、蘇軾・蘇轍兄弟のお父さんである。元々欧陽修が蘇軾を指導していたことは、古く民国の林語堂も著書「蘇東坡伝」にも触れている。この報道を見て、本棚の奥にしまってあった、京都大学教授の清水茂氏がかつて訳した「唐宋八家文」(朝日文庫)を読み直しているところである。清水教授によれば、「欧陽文忠公集」は、中国の文人の個人全集としては最初に出来たものであるという。というより、この「唐宋八家文」の欧陽修の部分の底本はそのものずばり、今回、九大の東教授が発見した書簡が含まれている天理図書館蔵本ではないか!

なお、清水教授によれば、この天理図書館蔵本は伊藤仁斎の旧蔵だったそうである。

兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい)

筆者不明。成立はハッキリしない。大阪大学の湯浅邦弘教授は明末清初の成立と考えているが、ウィキペディアには隋代成立とする説が乗っている。中国の新聞「済南日報」には、隋の開皇十六年(西暦596年)に書かれた「三十六計」が出てきたことを報じているのだが、本物かどうか。一応現地の専門家は隋代のものだと考えているようだが。(以下にその記事を載せる)

http://www.chinanews.com/cul/news/2009/07-31/1799137.shtml

孫子に始まる武経七書などの兵法書を、一般に分かりやすく四文字熟語の形式にしたもので、本文は非常に短い。易経からの引用が非常に多い。なお、一般に日本で流布している訳本には、歴史上の合戦の例が載っていることが多いが、これは原文にはない。今のところ原文を掲載し、ちゃんとした訳を載せているのは湯浅邦弘氏の「孫子・三十六経」(角川文庫)だけである。

南北朝時代の史書「南斉書」に、「檀公の三十六計、走(に)げるを上計と為す」(檀将軍の計略はかずかずあったというがな、逃げるのがいちばんの策だったそうな。」(駒田信二他・中国故事物語)という記述があるところからつくられたものらしい。檀公というのは檀道済(だん・どうせい)という中国南北朝・宋の武将のことで、退却戦が非常にうまかった。その武将の話を、宋に反旗を翻した王敬則なる人物がしゃべったのがこの三十六計なる言葉の出処である。それを、それからずいぶん後の北宋の惠洪なる坊さん(1071-1128)が、「冷斎夜話」なる漢詩エッセイ集で「三十六計逃げるを上計となす」といってから、有名になったらしい。なお、上記の新聞では三十六計は檀道済の書だと断定しているが、隋に書かれた三十六計の現物(?)が出てきただけで檀道済の書だと決め付けるのはいささか早計だと思いますね。

何分、出現したのが第二次世界大戦後で、中国の新聞の「燕山夜話」というコラムで突如発見が報道された謎の古典である。ただ、登場した時から、文章は読みにくく誤字も多いため偽作の疑いが濃厚な為にあまり重要視されなかったが、内容が合理的であることから最近よく読まれている。なお、『孫子』とは何の関係も無いし、歴史上用いられたかどうかは不明である。
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