群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

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欧陽修書簡の新規出現

二十四史のうち、新唐書・新五代史の2つの撰者である欧陽修の新しい資料が発見されたそうだ。
以下、西日本新聞の報道。


欧陽修の書簡“発掘” 中国・宋代屈指の文人 「人柄知る資料に」 九大・東教授
(2011年10月4日 00:20)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/266560
 中国・宋代の文人、欧陽修(1007-72)の研究者である九州大大学院比較社会文化研究院の東英寿教授(中国文学)は3日、欧陽修の書簡96編を発見したと発表した。人物像を把握する貴重な資料として日中の研究者に注目されそうだ。欧陽修は詩人や政治家として知られ、唐から宋にかけて活躍した「唐宋八大家」の一人。高校の世界史の教科書にも登場する。(中略)


要するに、欧陽修の全集「欧陽文忠公集」には最古版本が3つあるが、そのうち天理図書館蔵のものは他の2つと違い、全集編纂後に加筆された部分があったことがわかったのだという。記事では、「天理図書館の原刻本を詳細に調べると、書簡96編が含まれていることが分かった。周必大が手掛けた全集は完成後も加筆されており、書簡96編も書き足されたと考えられる。書簡の内容を分析中の東教授によると、同時代に活躍した文人の蘇洵の作品を褒めるなど欧陽修の人柄がうかがえるという。」とある。

蘇洵は勿論唐宋八大家の一人で、蘇軾・蘇轍兄弟のお父さんである。元々欧陽修が蘇軾を指導していたことは、古く民国の林語堂も著書「蘇東坡伝」にも触れている。この報道を見て、本棚の奥にしまってあった、京都大学教授の清水茂氏がかつて訳した「唐宋八家文」(朝日文庫)を読み直しているところである。清水教授によれば、「欧陽文忠公集」は、中国の文人の個人全集としては最初に出来たものであるという。というより、この「唐宋八家文」の欧陽修の部分の底本はそのものずばり、今回、九大の東教授が発見した書簡が含まれている天理図書館蔵本ではないか!

なお、清水教授によれば、この天理図書館蔵本は伊藤仁斎の旧蔵だったそうである。

兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい)

筆者不明。成立はハッキリしない。大阪大学の湯浅邦弘教授は明末清初の成立と考えているが、ウィキペディアには隋代成立とする説が乗っている。中国の新聞「済南日報」には、隋の開皇十六年(西暦596年)に書かれた「三十六計」が出てきたことを報じているのだが、本物かどうか。一応現地の専門家は隋代のものだと考えているようだが。(以下にその記事を載せる)

http://www.chinanews.com/cul/news/2009/07-31/1799137.shtml

孫子に始まる武経七書などの兵法書を、一般に分かりやすく四文字熟語の形式にしたもので、本文は非常に短い。易経からの引用が非常に多い。なお、一般に日本で流布している訳本には、歴史上の合戦の例が載っていることが多いが、これは原文にはない。今のところ原文を掲載し、ちゃんとした訳を載せているのは湯浅邦弘氏の「孫子・三十六経」(角川文庫)だけである。

南北朝時代の史書「南斉書」に、「檀公の三十六計、走(に)げるを上計と為す」(檀将軍の計略はかずかずあったというがな、逃げるのがいちばんの策だったそうな。」(駒田信二他・中国故事物語)という記述があるところからつくられたものらしい。檀公というのは檀道済(だん・どうせい)という中国南北朝・宋の武将のことで、退却戦が非常にうまかった。その武将の話を、宋に反旗を翻した王敬則なる人物がしゃべったのがこの三十六計なる言葉の出処である。それを、それからずいぶん後の北宋の惠洪なる坊さん(1071-1128)が、「冷斎夜話」なる漢詩エッセイ集で「三十六計逃げるを上計となす」といってから、有名になったらしい。なお、上記の新聞では三十六計は檀道済の書だと断定しているが、隋に書かれた三十六計の現物(?)が出てきただけで檀道済の書だと決め付けるのはいささか早計だと思いますね。

何分、出現したのが第二次世界大戦後で、中国の新聞の「燕山夜話」というコラムで突如発見が報道された謎の古典である。ただ、登場した時から、文章は読みにくく誤字も多いため偽作の疑いが濃厚な為にあまり重要視されなかったが、内容が合理的であることから最近よく読まれている。なお、『孫子』とは何の関係も無いし、歴史上用いられたかどうかは不明である。

中国思想史・群龍天に在り移設の弁

1998年から皆様にご愛顧いただいて参りました「中国思想史サイト・群龍天に在り(あり)」は、ネット上でも数少ない中国思想史の専門サイトとして13年にわたり運営してまいりました。紆余曲折色々ございましたが、その間、今はなき中国史の学術専門誌、大修館書店の「しにか」にもご紹介頂くなど、閲覧者の皆様に色々と有り難いご愛顧をいただき深く感謝しております。
この度、無料ページをレンタルしていたcoolオンライン殿のサービス停止(2011年6月末日)に伴い、過去の記事はWebArchive GvG殿にて保存されているものを使わせていただき、保存することと致しました。
中国思想史・群龍天に在り(アーカイブ)
新規の記事はfc2ブログ殿にて続けていくことと致しました。その際、単に中国思想史だけではなく、最近興味を持って調べている、私が生まれ育った東京の下町の歴史、千葉県の歴史についても取り上げることにしました。
従って、サイト名を「中国思想史と東京下町の記録サイト、群龍天に在り」と変更することにしました。

正直なハナシ、このサイトの中国思想に関する記述は未完成です。私は大学で中国思想をかつて学んだとはいえ、現在は一介のサラリーマンに過ぎません。ウィキペディア上の膨大な記述には中国思想関係の項目も多々あり、そこから学ぶべきことも多いです。あのような巨大な百科事典からすれば私のサイトは九牛の一毛にも過ぎません。サイトを閉鎖しようかと考えたこともありましたが、改めてネット上で個人ブログなどの中国思想史の関連項目を見たところ、驚くほど誤解が多いことがわかりました。また、ウィキペディアも非専門家の集団である以上、誤りも多いです。
テレビ情報雑誌「テレビブロス」のコラムに、芸能人に自分のウィキペディアを修正させる「ウィキナオシ」という企画がありますが、中国思想史にも「ウィキナオシ」が必要かもしれません。このサイトがそのような誤った情報の訂正拠点になれば、存在意義はあろうかと思い、移設を行いました。

中国思想史については、近年著しく研究が進みましたが、その研究成果は一般に公表されているにもかかわらずあまり知られておりませんので、そのような研究についても紹介したいと思います。

今後共当サイトをご贔屓頂けますようよろしくお願いいたします。
2011年七月吉日 松平東龍
(10月10日 加筆)
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