群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

webディレクター兼雑誌記者の松平俊介が書いているブログです。

web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

史料解題「柳営婦女伝叢」(りゅうえいふじょでんそう)

柳営婦女伝叢は国立国会図書館デジタルコレクションで見られる、江戸幕府将軍の妻子の史料集である。
編者は三田村鳶魚で、
筆者不明「玉輿記」(ぎょくよき)
筆者不明「柳營婦女傳系」(りゅうえいふじょでんけい)
竹尾善筑「幕府祚胤傳」(ばくふそいんでん)
竹尾善筑「幕府釐女傳續編」(ばくふりじょでんぞくへん)
から成っている。 

「玉輿記」はかなり伝説というか伝奇色が濃く、隆慶一郎氏の伝奇小説「捨て童子松平忠輝」のタネ本の一つである。三田村氏も言うように、大奥の姫と若君に関する怪しい話をまとめた本で、 松平忠輝にしても「ウロコが生えていたので水泳が上手かった」などというのは全く言語道断なものである。両生類やかっぱでもあるまいし。
どうも服部一族が書いていたものらしいが、まともに取り合うべき本でもないであろう。

「柳營婦女傳系」は「玉輿記」よりもっともらしく書いてあるのだが、系図が関心しない。これによると後醍醐天皇の御子、信濃宮宗良親王の嫡男が臣籍降下して源尹良を名乗り、征夷大将軍に任じられた、これが松平清康の先祖である…というのだが、ちょっとどうなんでしょうね。 

江戸しぐさは「逝きし世の面影」を誤読していた!明治10年頃に「江戸しぐさ」を心得た人々がいた?

江戸しぐさ伝説の中でも最もぶっ飛んだ主張をしている池田整治氏の文章の中に、以下の様な記述がある。
 行き交う人々は、江戸仕草の体現者であり、挨拶や話している様子も明るく、そこにいるだけで心温まります。野の鳥さえも人の肩に留まってさえずっています。一番気性の荒々しいと思われる船乗りが集まる船着き場に行ってみると、聞こえてくる言葉は、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」ばかり 彼らは、日本人が自分たちのことを南「蛮」人という意味がよくわかったと手記にも書いています。http://www.funaiyukio.com/ikedaseiji/index_1206.asp
池田氏はそれに続けて、この美しい江戸が「世界金融支配者の裏からの支援を受けた新政府軍の武士たちにより滅ぼされ、江戸しぐさの体現者は老若男女にかかわらず、わかった時点で斬り殺されていった」と主張している。
 ところで、池田氏の言う「江戸しぐさの体現者の美しい江戸」の記述の元ネタと思われるものを発見した。おそらく渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)であろう。
「楽しい群衆」のおとなしさ、秩序正しさについては、モースがたびたび述べている。
隅田川の川開きを見に行くと、行き交う舟で大混雑しているのにもかかわらず、
「荒々しい言葉や叱責は一向聞こえず」、ただ耳にするのは「アリガトウ」と「ゴメンナサイ」の声だけだった。
彼は書く。「かくのごとき優雅と温厚の教訓!しかも船頭たちから!なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来たったかが、段々判って来る
(原注:モース「その日」。同書162ページ)    
ここまで符合していれば、この描写の元ネタは『逝きし世の面影』であることはほぼ明らかであろう。しかし、実はこの話は、
江戸しぐさが明治新政府軍の江戸っ子狩りで消滅したはずの、明治10年頃の話でしかないのである。
 
なにしろ、渡辺京二氏が元の本で示しているように、この体験談そのものが明治政府に招聘された「お雇い外国人」の一人、東大教授のエドワード・S・モース氏が書いた「日本その日その日」のエピソードなのだ。モース氏の来日は明治10年で、有名な大森貝塚を発見している。その傍ら東京見物をしており、隅田川の川開き見物もその一環であろう。

それを池田氏はなぜか「幕末に江戸に来た人」だと誤解しているのだった。

ウィキペディアの江戸諸藩の記事は荒らしのでっちあげか。第二の「江戸しぐさ」か

驚くべきことだが、ウィキペディアに有る江戸時代の諸藩の記事は、なんと一人の荒らしユーザーがでっちあげていたようである。

いま、必要があり江戸時代の史料をひたすら読みなおしているのだが、ウィキペディアにだけ有る、謎の記述が多すぎるため、近江「水口藩」 などのところを資料を元に読みなおした所、なんと「シェーラ(デュオ・ドルチェット・吉野信夫などの多数の変名も使用)」という荒らしユーザーが史料もなしに立項した項目であった。唖然としている。彼の自己紹介はかくのごとし。
 歴史が全般的に好きです。202.224.95.2の時から戦国時代の武将をはじめ、多くの武将を新規投稿させていただきました。
 あらゆる視点から、史料を通して歴史を見ています。すでに戦国武将(三好長慶やその兄弟など)の多くや江戸藩主、藩などの投稿を行わせていただきました。史料とは面白いもので、それまで名将と言われている人物の裏の顔なども見えてきます(直江兼続、石田三成など)。
 私は元号に直したりするのが大変苦手で、いつも西欧世界の西暦で表しています。お手数ですが、もし日本の元号に直すのが得意な人がおられましたら、私の投稿したものを元号になおしていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
 202.224.95.188で投稿させていただくこともありますので、お願いします。
新規投稿(大久保長安事件、岡本大八事件、江戸時代の藩主、藩の記事(関宿、淀など)等等)。
現在は江戸時代の藩主(田沼氏、本多氏、井上氏など)、戦国時代の武将(吉川之経らマイナーな武将たち)を投稿しています。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A9

 
年号も読めないような人間が歴史学の百科事典を書きなぐるとはまことに世も末である。ところがこの人物、
立項だけはものすごい量をこなしており、シェーラ名義で約900件、 デュオ名義でも約200件、ドルチェット名義でも多数の記事を書きまくり、その中に大量のウソか本当かわからない話をぶちこんでしまったようである。実は彼の荒らし投稿は中国史にも及んでおり、駒田信二の小説「新十八史略」を出典に記事を書いており頭が痛い。

彼の歴史知識は、なんと時代小説や「信長の野望」の攻略本(!)から由来しており、荒らしを指摘されると、
なんと小説由来の話を大部の歴史事典を出典として書き始めるようになっており、
隆慶一郎の「影武者徳川家康」の話を平然と出典を偽って書いているのである。

以前、私はこう指摘した。(https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E8%99%9A%E5%81%BD%E3%81%AE%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%81%8C%E6%8F%90%E7%A4%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%82%92%E5%A4%A7%E9%87%8F%E3%81%AB%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6)

『慶長年中卜斎記』:板坂卜斎『慶長年中卜斎記』我自刊我本、明治15、近代デジタルライブラリー所収。他、異本に
早稲田大学蔵本の江戸享和3年の土井利伏の写本『慶長年中記』などがある。
「北越軍談」:
『名将言行録』:
『老人雑話』:
いずれも隆慶一郎の伝奇小説影武者徳川家康や、それに類するものからの孫引きと思われます。関ヶ原の戦いで引用されている『慶長年中卜斎記』の文章を原史料と比較すると、史料からの引用に比べ、漢字がかなにひらかれ(例、莞爾々々→にこにこ)、写本『慶長年中記』と『慶長年中卜斎記』とを足して2で割ったような記述にされておりました。尚、同著は伝奇小説という小説の形式上、原史料とは異なる描写がされていることが往々にしてありますので、ウィキペディアの出典として用いるのには全く不適切です。

伝奇小説では虚偽史料を用いてもっともらしくする手法がよく用いられており(例を上げれば周大荒『反三国志演義』が発見したと称する『三国旧志』、半村良『産霊山秘録』に登場する複数の虚偽史料など)、

影武者徳川家康が引用する史料もこの類で、『徳川実記』に出てこない話が『徳川実記』よりとして普通に出てきたりします。なお、出典を世界逸話大辞典と称しているものにも、影武者徳川家康からの話があるようです(藤堂高虎、徳川秀忠で確認)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E8%A1%8C%E7%82%BA/%E9%95%B7%E6%9C%9F/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A9

当然ながら良心的な利用者から憤怒の声が上がり、史料を読んで下さい、あなたの出典は何ですかと何度も何度も炎上したが、彼は一度は謝ったりもしたが、結局それを無視して、アカウントを消される度に別名義で同じような記事を量産しているのである。くれぐれもウィキの記事を元に江戸諸藩を理解しないでいただきたい。
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