略)古田織部正、見合い、六七人にてドッと切り込み、割りたて、斬り伏せ、
突き倒し、かけ廻り、思い思いの功名あり。
略)戸田武蔵に渡り合い、遂に武蔵を斬り伏せ、首を取りたもう。
古田織部正、働き功名比類なし。
(太田牛一『慶長記』)

その無造作に、戸田武蔵が、はっと詰足を止めた時、古田織部の姿を見失いかけた。
 織部の巨大茶杓が、ぶんと上がったのである。六尺ぢかい織部の体が、四尺ぐらいに縮ちぢまって見えた。
足が地を離れると、その姿は、宙のものだった。
「――あッつ」
 武蔵は、頭上の長剣で、大きく宙を斬った。
 その切っ先から、敵の織部が額を締めていた柿色の手拭が、二つに断きれて、ぱらっと飛んだ。
 武蔵の眼に。
 その柿色の鉢巻は、織部の首かと見えて飛んで行った。血とも見えて、
さッと、自分の刀の先から刎ね飛んだのであった。
 ニコ、と。
 武蔵の眼は、楽しんだかも知れなかった。しかし、その瞬間に、武蔵の頭蓋は、
巨大茶杓の下に、小砂利のように砕けていた。

「――ア。アッ」
「武蔵どのが、茶坊主に」
が――おおいようもない敗色と、滅失の惨気が、武蔵の勝ちを信じていた人々のうえを包んだ。
「……?」
 しかもなお、未練や煩悩は、そこまでの現実を見ても、自分らの眼のあやまりではないか――と疑うように、
生つばをのんで、しばしは放心していた。

あの武芸の達人、戸田武蔵が、茶坊主の古田織部に斬られるのか。
バガボンドが、へうげものに負ける。こんなことがあるだろうか。


「ゲヒヒヒヒ。生涯のうち、二度と、こういう敵と会えるかどうか。
しかし、それがしの巨大茶杓も良いものでござるよ、ゲヒヒヒヒ」
時は経ても、感情の波長はつぎつぎにうねってゆく。織部が生きている間は、なお快よしとしない人々が、
その折の彼の行動を批判して、すぐこういった。
「あの折は、帰りの逃げ途も怖いし、織部にせよ、だいぶ狼狽しておったさ。
何となれば、武蔵にとどめを刺すのを忘れて行ったのを見てもわかるではないか」――と。
 波騒は世の常である。
 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。
水のふかさを。
(善川エイジ『戸田武蔵』)
 ――慶長五年九月、美濃の国関ヶ原。「謀才俊雄の英士」武芸者戸田武蔵重政、茶人古田織部に討たれる。

…元ネタ
徳富蘇峰『近世日本国民史』http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223797
吉川英治『宮本武蔵 円明の巻』http://www.aozora.gr.jp/cards/001562/files/52402_49793.html

※これはネタ記事です。戸田武蔵を実際に打ちとったのは織田河内守長孝であり、古田織部ではありません。史料によれば、
古田織部は戸田武蔵の陣所に織田らと斬り込んで手柄を上げたようですが、誰を倒したのかまでは
太田牛一は書いていません。すなわち冒頭に引用した『慶長記』の略の部分に「織田河内守が戸田武蔵を打ちとった」とあります。ただ、古田織部が太田牛一が称賛するような猛将であった面も
あったのかもしれません。