北魏の正史・魏書の卷九十五・匈奴劉聡伝・序文は三国から五胡十六国を、魏書の著者・魏収が概観したものである。
曹操の魏を継いだ北魏王朝の目線からの見かたで興味深いのだが、これまでほとんど注目されず、古田武彦氏が講演でネタにしたことがあったぐらいで、和訳もないので、簡単に意訳してみた。正直、故事成語を大量に駆使した流麗な四六駢儷文なので、それをキチンと訳すのは相当大変であり、これはあらすじだけの訳であることをおことわりしておく。

もっと簡単にいえば、「後漢末の乱世をせっかく、曹操様・曹丕様が平定したのに、逆賊孫権と逆賊で盗人の劉備が荒らし回り、変な格好のバカども(劉備と孫権)のせいで、そのお仲間のヤカラどもが乱立し、おかげで中国が滅んだ。劉備の後釜の劉淵一味、苻堅一味など五胡のヤカラと、孫権の後釜の司馬叡一味(東晋)は死ねばいいのに。で、曹操様の後継である我が北魏こそが正統王朝であり、ヤカラを平定したのは我々の功績である」というのですね。以下、原文(大分途中を削っている)の後に意訳をつける。

夫帝皇者,配德兩儀,家有四海,所謂天無二日,土無二王者也。三代以往,守在海外,秦吞列國,漢并天下。逮桓靈失政,九州瓦裂,曹武削平寇難,魏文奄有中原,於是偽孫假命於江吳,僭劉盜名於岷蜀。何則?戎方椎髻之帥,夷俗斷髮之魁,世崇凶德,罕聞王道,扇以跋扈,忻從放命。

(要旨)皇帝とは至尊の位であり、孟子が「天に二つの陽がないように、この世界の王も二つはいらぬ」というようなものだ。要するに皇帝は一人だけなのだ。しかし、秦漢の後、後漢末の桓帝・霊帝の失政のために中国は分裂してしまった。魏の武帝・曹操様は逆賊を平らげ、魏の文帝・曹丕様は中原を治めた。にもかかわらず、ニセ孫氏が呉を名乗り、ニセ劉氏の盗賊が蜀を名乗った。まったく、どうしたわけだろう?孫権・劉備というチョンマゲのバカ殿、ザンバラ髪の野蛮人共のせいで世は悪人を崇めるようになり、王道はまれになってしまい、悪事が横行して善事が引っ込んだ。

※椎髻は非常に訳しにくい言葉です。少数民族の髪型なんですけど、
http://oldblog.voc.com.cn/sp1/chenyongqiang/163004494578/1217494579715_494578.jpg
こういうやつなんですよね。チョンマゲでも弁髪でもニュアンスが違うんだよなあ。弁髪ではないのでチョンマゲにしましたけど…

※「蜀」というだけで本来は蔑称になる!といういい例だと思います。枕流亭主永一さんがいうように、「蜀ファン」とかいう言い方は本当はアカンのですね。劉淵はちゃんと「漢」と呼んでます。蜀というだけでもけなしているのですが、更に「僭劉、岷蜀に名を盜む。」と最大限にこき下ろしています。「偽孫」という言い方もひどい。(本項の書き下しは
@yunishio氏のツイッターでのご教示に従い改めました。ありがとうございます)

晉年不永,時逢喪亂,異類羣飛,姦凶角逐,內難興於戚屬,外禍結於藩維。劉淵一唱,石勒繼響,二帝沉淪,兩都傾覆。徒何仍釁,氐羌襲梗,夷楚喧聒於江淮,胡虜叛換於瓜涼,兼有張赫山河之間,顧恃遼海之曲。各言應曆數,人謂遷圖鼎。或更相吞噬,迭為驅除;或狼戾未馴,俟我斧鉞。

(要旨)西晋は短かった。内紛が起こっている時に夷狄どもにつけこまれて国が滅んだのだ。劉淵が騒ぎ、石勒がやかましくした。西晋の二人の帝(懐帝・愍帝)は劉淵一味に捕らえられて、いじめられた挙句に不幸な死を遂げられ、洛陽・長安は壊滅した。なんとひどいことだろう。更に前秦の苻堅だの、東晋の司馬叡だのが中国を荒らし回り、涼州には異民族がむやみに氾濫した。この連中を討伐しなくてはいけなかった。

太祖奮風霜於參合,鼓雷電於中山,黃河以北,靡然歸順矣。世祖叡略潛舉,靈武獨斷,以夫僭偽未夷,九域尚阻,慨然有混一之志。既而戎車歲駕,神兵四出,全國克敵,伐罪弔民,遂使專制令、擅威福者,西自流沙,東極滄海,莫不授館於東門,懸首於北闕矣。

(要旨)北魏の太祖様は風雪をものともせず、黄河以北を平定された。北魏の世祖様は優れた戦略で夷狄どもを潰し、天下統一の大志を抱かれた。こうして我が魏の神兵は中国全土を駆け巡り、民衆を保護した。西はシルクロードの砂漠、東は渤海まで平定したのだ。