倉山満『嘘だらけの日中近現代史』(扶桑社新書)という本が売れているようだが、
この本には多くの誤りや疑問箇所があるようである。

この本は、「日本の中国研究者が書けないタブーを書く!嘘つきチャイニーズによる
プロバガンダの手口をバラす!」と帯に書かれているのだが、私が見たところ、
内容が余りにも間違いだらけであるようだ。

この本にはアマゾンではほとんどが肯定コメントをつけている。
これを見て私は、「ああ、批判を受けつつ、中華思想に抗ってきた、桑原隲蔵(じつぞう)先生(※1)、
宮崎市定先生(※2)、高島俊男先生(※3)のような、先哲の学問の遺産は受け継がれていないのだな」
「斯道、ここに滅びんとしているのか」と嘆きたくなった。

目についたところだけ、ポツポツと批判したいと思う。

1、「中国史は繰り返す」?!いや、どこが繰り返しなんだ?


 倉山氏は、以下のように言う。(14ページ)
「中国史のパターンを図式化してみましょう。」

「一、新王朝成立
二、功臣の粛清
三、対外侵略戦争
四、漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成
五、閨閥、軍閥、官僚など皇帝側近の跳梁
六、秘密結社の乱立と農民反乱の全国化
七、地方軍閥の中央侵入
八、一に戻る」

というのだが、これ、全然中国歴代王朝は繰り返していないんだよなあー。
そもそも倉山氏が例としてあげているのは秦漢2王朝に過ぎない。
実は、これらの道筋をきちんと踏んだ王朝など秦漢2王朝以外にほとんど存在しないのである。

もっといえば、ここに出てこない要因で滅亡した王朝のほうも多いのである。要するに他の王朝や異民族に攻められて滅ぶのである。
 
他の王朝を上げてみよう。倉山氏の上げた王朝滅亡要因を、どれだけの王朝がちゃんと法則を踏んだかというと、
踏んでいる王朝のほうが少ないのだ。これ、歴史法則といえるのか?
三国魏 1→5→7(司馬氏に乗っ取られ滅亡)
西晋 1→5(異民族の匈奴[漢]に攻められ滅亡)
東晋 1→5→7(軍閥により滅亡)
北魏 1→4→7(東西分裂)
南朝劉宋 1→5→7(軍閥により滅亡)
南斉 1→5→7(軍閥により滅亡)
陳 1→5(隋に攻められ滅亡)
隋 1→5(唐により滅亡)
唐 1→3→4→5(武韋の禍)→7(安史の乱)→5→6(黄巣の乱)→7(滅亡)
北宋 1→5(金により滅亡)
南宋 1→5(元により滅亡)
大元 1→3→5(明により滅亡)
明 1→2→3→4→5→6(李自成に攻められ滅亡)

と、見事なまでに倉山氏が上げた1~8を全て繰り返した王朝がないのである。途中までちゃんとやってるのが明ぐらいしかないぞ!法則として成立してるのか?

なぜかといえば、倉山氏の中国史認識は実は三国志演義の冒頭で羅貫中が示す史観に似ており漢朝以外にはこの図式は綺麗に当てはまらないのだが、それを無理やり当てはめたので実に変なことになっているのである。

2、おかしな中国王朝滅亡の要因


倉山氏が上げる王朝滅亡要因も、いずれもオイオイと言いたくなるものである。
まず、「二、功臣の粛清」だが、こんなことが出来たのは実は皇帝権力が非常に強い時だけであって、特に中世中国でそんなことをしたら、逆に皇帝が殺されたであろう。倉山氏は中国中世の貴族制度を何一つ分かっていないようだ。東晋の皇帝を見るがいい、まともに家臣に指図できた皇帝のほうが少ないのだ。

それから「三、対外侵略戦争」もちゃんと出来た王朝はとても少ないのだ、漢・唐・元・明・清以外にまともに出来た王朝はない、東晋・北宋は失地回復すら出来ず、北魏も一度大きくなってからはやっていないのも同然である。

さらに「四、漢字の一斉改変と改竄歴史書の作成」に至っては噴飯物である。倉山氏はこんなふうに言っている。『中国の歴史を習うと、「皇帝が辞典(ママ)の編纂を行った」とする記述がありますが、あれは本当に言葉を変えているのです』(p20)この辺り長いので要約すると、「文字を使う中国は文字を持たない北方民族より弱いので、歴史を改ざんして、いじめられっ子がネット番長になるように陰口をたたいた。漢の劉邦は漢字を決めた。王朝ごとに辞典が編纂され言葉が代わった。歴史書も前の王朝のものを悪しざまに書いたものが後継王朝により作られる」というのだが、

これ、本当に学者が書いた本なのか?高校世界史レベルでも反証がどんどんあげられるんだけど。

まず北方民族は字を知らないという認識そのものが言語道断である。この倉山さんは女真文字、西夏文字、契丹文字、元のパスパ文字を知らず、魏収『魏書』や『元朝秘史』を知らず、薩都剌や耶律楚材を知らず、西田龍雄氏ら日本の学者の業績を知らないのだろうか。北方騎馬民族もどんどん漢化されて自国の文字を作るものも有れば、漢詩漢文に熟達して史書や詩文を著すものも大勢居たのである。さらに言えば、それらの多くは中国大陸では余り評価されず、日本の東洋史学が先んじているものも多いのである。例えば、西夏文字解読に成功したのは日本人の西田龍雄氏であるし、魏収『魏書』も本国で不当に評価されていたのを日本人の塚本善隆氏が再評価したのが研究の端緒である。「日本の中国研究が書けないタブー」を書こうとするほどの人がなぜそういう初歩的認識がないのであろうか。残念でならない。

私は倉山さんが言った「劉邦が作った漢字」「始皇帝や劉邦が作った辞典」なるものを是非見たいものだ。そんな話は聞いたこともない。

まず漢字の字体の変遷を通説に従ってあげると、秦の始皇帝が小篆を作ったのは事実なのだが、漢の隷書は伝説では秦の程邈なる無名の人の作であると言い、小役人の間で勝手に出来たものであるとされる。劉邦とは縁もゆかりもない。後漢末に出来た楷書も皇帝と縁もゆかりもない。伝説では王次仲なる人物の作だという。草書や行書もまた同じ。強いて言うなら後漢の章帝が草書の元を作ったという伝説が有るぐらい。藤堂明保氏は「実務に携わる底辺の役人たちが、能率を良くするために考えだした現場の知恵」(『中国の文字とことば』)としている。そもそも倉山氏の話が正しいのなら、王朝ごとに漢字が違うことになり、漢文などほとんど読めないはずである。

勅撰の辞典の方も噴飯物だ。だいたい、『爾雅』『釋名』『説文解字』『切韻』は何時勅撰になったのだろうか。『切韻』のことぐらい師匠の岡田英弘さんにでも聞いてほしいものだ(鮮卑人陸法言ほかの選)。勅撰の辞書なんか北宋の『広韻』、明の『洪武正韻』、清の『康煕字典』『佩文韻府』等以外にあるんでしょうか?(元の中原音韻は私撰)ほとんどの王朝がやっていないことをあたかも中国歴代王朝を貫く法則みたいに良く言えたものだ。

史書の方は一々言うまでもないが、後漢書がだいぶ後の南朝宋の完成だったり、後の王朝が直近の王朝の史書を書けたほうが少ないのである。

(※1)桑原隲蔵(じつぞう)…明治3年12月7日(1871年1月27日) - 1931年(昭和6年)5月24日)、
京都大学教授。「支那人間に於ける食人肉の風習」「支那人の文弱と保守」「支那人の妥協性と猜疑心」
など、中国史に対する批判的研究で有名。宮崎市定の師匠。司馬遼太郎は桑原を褒め称えて、
「人喰いの歴史を追求したので中国人からは大変いやがられましたが、実証ということほど大事なことが有るでしょうか」
[要約](司馬遼太郎講演集)としている。

(※2)宮崎市定(みやざき・いちさだ)…1901年(明治34年)8月20日 - 1995年(平成7年)5月24日)。
戦後日本を代表する東洋史学者。東洋史で数多くの業績があるが中国政府に対して批判的な立場も取り、
「南沙諸島の領有権を主張する中国を叱る」という文章もあるほどである。中国共産党では「反動歴史家」と
言われて論文の訳も「高級幹部・専門家向けの読み物」として一般の読書を一時期禁じていた。

(※3)高島俊男(たかしま・としお)…1937年1月16日ー。中国文学者。前野直彬門下。「『支那』は悪い言葉だろうか」などの論考で有名。「中国の王朝を倒すのは多数の流民をひきつれた『盗賊』であり、その最終勝者が次の王朝を開く。毛沢東の共産革命軍もその一種だ」と論じた。(いわゆる毛沢東盗賊論)畏友、犬大将氏の先輩に当たる。