江戸しぐさ批判をこのブログでも色々やって来たわけですが、「江戸しぐさ批判批判」というべきものが最近出てきました。例えば、「武田人間」というハンドルネームの方のこの意見がアマゾンレビューにありました。
キリスト教というのは古代ローマ時代に生まれた新興宗教なんだよな。で、やがてローマ皇帝に国教に指定してもらって今の地位があると。没落しかけた権力と権力から「お墨付き」が欲しい新興宗教側とで利害が一致したわけだ。 この辺の事情は自民党も同じで創価だの天理教だの実践倫理だのに「動員」をかけなきゃもはや権力を維持出来ないんだよな。だから多少、内容的に問題があっても保守的で穏健なら「江戸しぐさ」だろうがなんだろうが票欲しさに採り入れるのが合理的な判断だよなぁ。で、見返りとして教科書に載せてくれたりするわけだ。 だいたい江戸しぐさが妄想だっつうんなら国民国家も神道も仏教も禅宗も何もかも妄想だっつうの。ま、人間というものがたんぱく質の集まりに過ぎぬと考える人々にとってはすべからく妄想だろうけどね。しかしそういう人々は道端のお地蔵さんに対しても「それは石ころだ!」とかいちいち糾弾してんのかね。御苦労なこった。そんな労力あるなら宗教を票田にする自民党をどうにかしろっつうの。
 まあ、極端から極端に走る議論のようだとしか申し上げようがないのですが、個別に反論していきたいと思います。

>だから多少、内容的に問題があっても保守的で穏健なら「江戸しぐさ」だろうがなんだろうが票欲しさに採り入れるのが合理的な判断だよなぁ。で、見返りとして教科書に載せてくれたりするわけだ。

「江戸しぐさ」が教科書に載ったのは党利党略ではないか?というご意見ですが、こういうのは一種の陰謀論で、多分違うのではないかと思います。何故かといいますと、ではなぜ育鵬社本だけに載ったのか?というところが全く説明できない。山川出版社も政府の顔色をうかがっていないか?といえばそうでもないのですよ。政府寄りの見解を教科書に書いたりもしているのですから。育鵬社本の母体である「(一財)日本教育再生機構」に、江戸しぐさビリーバーが多かったことが元ネタだと考えております。

>だいたい江戸しぐさが妄想だっつうんなら国民国家も神道も仏教も禅宗も何もかも妄想だっつうの。

これは非常に極論ですね。仏教でいうところの「断見外道」に近い考え方ですが、これらのものと江戸しぐさを対置するのは、正直筋悪ではないか、と思いますね。  まず、「江戸しぐさ」ですが、このブログでも何度も言いましたように、飽くまでもある団体が勝手に述べているだけのもので、論としての成立も平成期と非常に新しいものです。また、これは「マッカーサーを崇拝せよ」「明治日本はけしからん」「江戸っ子は明治維新の時に大虐殺された」という、極端な主張を含んでおります。  神も仏も妄想ではないか!と言いたい方はご自由にどうぞと申し上げたいのですが、当方は仏教についてあまりよく分かっておりませんので、ある専門家の方の意見を引用したいと思います。  

「貪り、怒り、無知で悩んでいる人々がこころの中に限りのない欲望、願望、期待などで苦しんでいるのです。怯えているのです。わらにでもすがりたい気持ちでいるのです。 心の煩悩さえなくなれば何一つにも頼る必要はないのです。信仰する必要はないのです。」

「仏陀は悟りの方法を教えたので、何かに頼りなさい、何かを信仰しなさいと言わないのです。 それは仏陀の道とは違います。」(南伝仏教長老、A.Sumanasara師 http://www.j-theravada.net/qa/qahp27.html)

どんな仏教でも大なり小なり「煩悩の解決方法」を説いているのであって、それを妄想というのは甚だしく極端な物言いではありませんか。それが護摩であり座禅であり唱題行であったりの違いがあるだけではないかと思うのですが…

 神道については私はもっと不勉強ですから、これは何れ勉強したいと思います。しかし妄想というのはあまりにも言い過ぎでしょう。例えば、神社本庁では神道を以下のように定義しています。  

「神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。」(http://www.jinjahoncho.or.jp/izanai/)


 自然現象すら妄想と言い切り、江戸しぐさと同等とされる武田氏の精神力の強さには恐れ入りますが、私はそこまで言えませんので、これまでどおり仏教や神道を信じて行きたいと思います。 この武田氏、ありとあらゆるものに星1つのレビューを書き込んでおられるのですが、唯一星3つを付けたのが、土肥誠氏の「30分で分かるマルクスの資本論」だというところに、共産主義者なのだなあと思わざるを得ません。(なお、星4つは特殊な志向のものとゲームソフトでございますので伏せておきます)。

 そもそも、「江戸しぐさ」って資本家(!)たちが「わが亡き後に災い来たれ!」と叫んでいたのではないという、極めて資本主義的主張なのですが…

>しかしそういう人々は道端のお地蔵さんに対しても「それは石ころだ!」とかいちいち糾弾してんのかね。御苦労なこった。そんな労力あるなら宗教を票田にする自民党をどうにかしろっつうの。  

 そもそも、仏教も神道も妄想だと断じる武田氏が、逆に地蔵菩薩と称する石像を何故糾弾するのが良くないとされるのか、当方には理解できません。
 共産主義を奉じる無神論者の方であれば、断固宗教物は敬遠すべきなのではないかと思います。すなわち為にする論でしかないように思いますが、いかがなものでしょう。

 私はそもそも仏教の徒、神道の徒でありますから、地蔵菩薩像を糾弾したことなどないのですね。それから、自民党については今の経済政策は概ね問題ないものと思っておりますが、それ以上の感慨はありません。自民党を打倒すべきだとする武田氏のお話には従えないということです。