菅野完氏の『日本会議の研究』という本が売れていると聞き、元の原稿やご本人の関連発言がネットで公開されていたので読んでみたが、色々と問題が多いことに気づいたので指摘したいと思う。
(※本稿執筆後、著者菅野氏より連絡あり表題を改めた)
指摘は多数あり、これは江戸しぐさや倉山満氏の批判をやった時以来の大掛かりなものになるであろう。

1,江戸しぐさは日本会議発祥か?

著者ご本人の発言である。しかしこれは誤りであろう。江戸しぐさのオリジナルコンテンツの開発元が日本会議であるはずがない。また、そもそも江戸しぐさはリベラル色が強い主張であった。

そもそも前提として、江戸しぐさは日本会議発足(1997[平成9]年5月30日)以前に既に存在していた。現在の形での江戸しぐさを広めた、越川禮子氏の『江戸の繁盛しぐさ』は1992年に出ている。

そして、既に原田実先生が名著『江戸しぐさの正体』(星海社新書)で指摘されるように、江戸しぐさ布教マンガ「江戸しぐさ残すべし」(みやわき心太郎作)では、安倍晋三氏への批判が行われ、「戦後レジーム脱却!憲法改正!」を怒号する安倍氏の似顔絵に「オンヤ?あんたまた長州藩なの?」「日本を戦争のできる国にしないで」というセリフまでついていたのである。日本会議とは真逆の主張である。

また、江戸しぐさを学校現場に取り入れる動きは、江戸しぐさ創始者・芝三光生前から存在していた。
そして、芝は日本会議及びその前身組織、神道系組織とは無縁であった。そもそも江戸しぐさに神仏に関するものは存在しないのである。

芝は、子供へ江戸しぐさを教え込もうという考え方をしている人物であった。そして、1985年(昭和60年)、跡見学園女子大学において「はたらくー江戸の職人の世界」という題で公開講座の講師も行っている。

「江戸しぐさは赤旗の人たちにも話した」「江戸しぐさを復活させるには民主党政権交代しかない」

その後を継いだ越川禮子氏も江戸しぐさを教育現場に普及させることに熱心で、自らこう語っている。
「私は『江戸の繁盛しぐさ』という本を日本経済新聞社から1992年に出させていただいてから16年あまり、いろんなところで日本人のDNAのことを話してきました。警察の幹部の方たちにも赤旗の人たちにも、左も右も関係ない。江戸しぐさは宗教でも思想でもないんです。江戸しぐさは日本人が暮らしの中で培ってきた生活信条なんです。癖になっていると言いましょうか、まさに日本人の感性そのものなんです。私たちがやっていることは日本人の基本に戻りましょう、という運動です」
これは、福田康夫政権下の2008年(平成20年)7月10日にはNPO法人江戸しぐさが、全国の小学生に作文を書かせた「わたしの『平成しぐさ・ふるさとしぐさ』コンクール記者発表」 で越川氏が話したことである。
(http://www.edoshigusa.org/activity/report/20080710/)
この記者発表では「朝霞第七小学校の「江戸しぐさかわら版」の復刻版」が出てきており、教育現場への浸透はそれ以前から行われていたことが伺える。

 ここでわざわざ江戸しぐさを話してきた人々の中に「赤旗の人たち」が出てくるのだが、事実、左派の議員経験者の中にも江戸しぐさに共感する人は存在しており、例えば民主党→生活の党→無所属のおくもとゆきこ氏(元広島県議会議員)は、2008年(平成20年)2月1日、ブログで以下のように江戸しぐさへの共感を述べ、江戸しぐさを復活させるために民主党による政権交代が必要だと訴えていた。(http://orange.ap.teacup.com/yukikokajikawa/48.html)
なぜ、こんな文明的に非常に洗練された「江戸しぐさ」が日本でなくなってしまったのか?と嘆かれている方も多いでしょう。 明治維新のとき、薩長軍が新政府を樹立し、官軍となると江戸っ子狩りが大々的に行われ、「江戸しぐさ」が摘発の目安となり女・子どもが狙われ、江戸っ子は難民となり、江戸から逃れて行きました。 薩長の田舎侍が江戸を乗っ取ってから、「江戸しぐさ」が廃れてしまったのです。 江戸には、「おつき合い講」があり「異国つきあい」「一見つきあい」など異文化・あかの他人といかにつきあうか人間の真価が問われていました。 江戸ッ子が「異国つきあいを知らない連中が天下国家を取って、うまくやっていけるんでしょうか。 これでは3代目にはエゲレスやアメリカと喧嘩をしてシャッポをぬぐことになりませんかね。」と嘆いた通りに歴史はなりました。
また、江戸料理は夫婦二人で作るのが原則でした。 明治維新で江戸の文化は影の歴史として葬られ、薩長軍による新政府が富国強兵をスローガンに男尊女卑の国へと作り変えてしまったのです。 江戸の人々は、目の前にいる人は仏の化身でみんな平等、誰から見ても弱者の立場の人に対して威張るのは最下等の人間として嫌われました。 江戸ッ子はしぐさは、世間さま(他人)を見て、自然に身についていくものだと考えて、見目かたちよりも身のこなし方や表情に重きをおいていました。 才覚のある人の芽をつまず、よそ者(新人)をいびらず、結果として世のため、人のためになる人材を尊重するリベラルな風土が江戸を268年も安泰にし、庶民が平和に暮らせたのだと私は考えます。
明治維新でお上から強要された薄っぺらな中身のない「文明開化」のメッキが140年もたつとボロボロになり、日本中を蝕んでいます。 明治維新・第二次大戦後に権力を握った人々が既得権を死守することだけ考え、生き残るためには他人を犠牲にしてもよいといいう排他的・特権階級意識の強い指導者をみると、東京は江戸よりも劣化していると感じるのは私だけでしょうか? 「自立と共生」の思想や相手への思いやりに溢れていたお江戸の伝統は、政権交代しなければ復活しないのだろうなぁ~と私は思います。(下線筆者付与)
おくもと氏の発言は、元々リベラルだった本来の江戸しぐさをそのまま受け取ったものであり、むしろTOSSなどによる「にわか講師江戸しぐさ」の方が改変されたものなのである。(この項続く)

付記)本稿執筆後菅野氏ご本人より丁重なご連絡を頂いた。「認識を改めたが著書に江戸しぐさについての言及はない」とのことである。念のため付記しておく。