老子いわく「太上下知有之。其次、親之豫之。其次 、畏之侮之。」と。
真の指導者は存在だけ民に知られるだけであり、親しまれる指導者は二流に過ぎず、ましていわんや、畏れられたり小馬鹿にされたりする指導者は下の下だと言うのである。

前回取り上げた菅野完氏の著書『日本会議の研究』を調べていく内に、これまで私が知らなかった日本の真の支配者「日本会議」について知ることが出来、大変勉強になったが、私ははたと気づいたのである。まさしくアセンションである。
「大きなことを言うようですが」でお馴染みの春風亭柳昇師匠、日本会議代表役員なんですね。その上落語芸術協会を支配していたのだから日本の政治を操っていた上に芸能界まで支配していたことになるんだぞ。これは安岡正篤よりすごいでしょ。でも柳昇師匠が動くと永田町が激震とか聞いたこと無いけどね。しかし、それこそ「太上下知有之。其次、親之豫之。其次 、畏之侮之。」なのだね。存在だけが知られている指導者こそ真の指導者なのである。

戦後日本を操ったのは日本会議代表役員だった故・春風亭柳昇師匠である。

それは間違いないことであると私は確信した。

 春風亭柳昇師匠は元軍人の落語家で、江戸しぐさの芝三光師が率いた「江戸講」と矛先を争った民衆側のリーダー「富士講」の講元である。
 余談だが、芝三光師「江戸講」がGHQにつき、リベラル色が強かったことを、「江戸しぐさは保守派の陰謀」だと主張しているある人に説いたが、何しろ彼らはエッセイストの山本夏彦が江戸しぐさを広めたと固く信じこんでおり、「江戸しぐさは保守なんだよ」と繰り返すばかりであった。史料の提示を求めたがはぐらかされてしまった。

日本会議を率いたのは名目上は最高裁元長官なのであるが、実は名目上でやっている人が多いようである。実際の実権は代表役員の柳昇師匠が握っていたのである。
柳昇師匠は以下のように日本会議では説いていた。
  若し日本に〝日本会議〝という大きな組織が無かったら日本はどうなってしまうのだろうと思うことがあります。
 それは五十余年前、一度も経験したことの無い敗戦と言う大きなショックで心ある日本人は何もいわなくなってしまいました。
 全く無口になってしまったのです。それに引き換え怒濤のように踊り出したのが左翼の人達でした。〝自由〝〝革新〝〝進歩〝と口を揃えて吠え始めました。
 それにどうしたことかマスコミもこれに同調、今までの考えを持った人達を〝古い〝〝汚い〝と悪の権化のように叩いて来ました。
 それがどうでしょう、この人達の神のようにあがめたソ連が崩壊したり、共産国の行き詰まりの現状を見るようになっても左翼崇拝の人達はまだ目が醒めません。拉致と言う恐ろしい事をしたのも共産国です。
 靖国神社を参拝する者は〝無知、下品、幼稚〝と罵る田原総一郎氏のようなひとをこのままほっといて良いのでしょうか。
 何も言わない日本人の皆さん!立ち上がりましょう。
(http://www.nipponkaigi.org/voice/5years/kakkai#years547)

他のメンバーが明らかにお義理のような文言を述べている(大半の人は自分のエジプト旅行の話をしたり、自分の専門分野の宣伝をしたり、人事のように「これからもがんばってください」などと述べている)時に、柳昇師匠だけが 猛然と呼びかけているのに気が付かれるであろう。

それこそが春風亭柳昇師匠が日本会議をリードしていたという証左なのであろう。 

柳昇師匠が日本会議や落語芸術協会と一緒に仕切っていた「ゆうもあくらぶ」も、実態は保守派の憲法改正を目論んだ運動体の一つであり、現に「ゆうもあくらぶ」は一時期安倍晋三氏が会長であった。現在は自民党の山東昭子氏が会長である。

だから私はこう言いたい。戦後日本の巨魁、それが春風亭柳昇であると。
いわゆる「草の根保守」は、彼の手駒に過ぎなかった…と。

そもそも昔から疑問だったのである。なぜ一介の芸人のはずの春風亭柳昇師匠が弟子を政権中枢に送り込み、北海道や沖縄を掌握し、一介の芸人でありながら税金で寄席(国立演芸場)まで作らせることができるのであろうか。そもそも柳昇ギャルズとか、アニメに登場していることも一介の芸人の枠を遥かに超えている。そこには明らかに日本会議の陰が見え隠れするのである。

そして、弟子のブレーンはソ連崩壊を予言した東工大教授なのである。

「大きなことを言うようですが」は謙遜ではなかったのだ。

(※タネ明かし これはいわゆる「日本会議陰謀論」のパロディです。「日本会議陰謀論」は、日本会議に属している人間が日本政府を動かしうるであろうと言う前提に立ち、全ての行動をそれにこじつけるのものです。従ってコレは完全なるコジツケです。「ゆうもあくらぶ」は戦後すぐから有るユーモアある行動を表彰する団体でなんの政治色もないはずです。文中の弟子は立川談志家元のこと。北海道・沖縄開発庁事務次官を務めましたが短期間で辞任しています。完全なネタ記事であります。ご寛恕下さい。念のため)