江戸しぐさ伝説の中でも最もぶっ飛んだ主張をしている池田整治氏の文章の中に、以下の様な記述がある。
 行き交う人々は、江戸仕草の体現者であり、挨拶や話している様子も明るく、そこにいるだけで心温まります。野の鳥さえも人の肩に留まってさえずっています。一番気性の荒々しいと思われる船乗りが集まる船着き場に行ってみると、聞こえてくる言葉は、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」ばかり 彼らは、日本人が自分たちのことを南「蛮」人という意味がよくわかったと手記にも書いています。http://www.funaiyukio.com/ikedaseiji/index_1206.asp
池田氏はそれに続けて、この美しい江戸が「世界金融支配者の裏からの支援を受けた新政府軍の武士たちにより滅ぼされ、江戸しぐさの体現者は老若男女にかかわらず、わかった時点で斬り殺されていった」と主張している。
 ところで、池田氏の言う「江戸しぐさの体現者の美しい江戸」の記述の元ネタと思われるものを発見した。おそらく渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)であろう。
「楽しい群衆」のおとなしさ、秩序正しさについては、モースがたびたび述べている。
隅田川の川開きを見に行くと、行き交う舟で大混雑しているのにもかかわらず、
「荒々しい言葉や叱責は一向聞こえず」、ただ耳にするのは「アリガトウ」と「ゴメンナサイ」の声だけだった。
彼は書く。「かくのごとき優雅と温厚の教訓!しかも船頭たちから!なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来たったかが、段々判って来る
(原注:モース「その日」。同書162ページ)    
ここまで符合していれば、この描写の元ネタは『逝きし世の面影』であることはほぼ明らかであろう。しかし、実はこの話は、
江戸しぐさが明治新政府軍の江戸っ子狩りで消滅したはずの、明治10年頃の話でしかないのである。
 
なにしろ、渡辺京二氏が元の本で示しているように、この体験談そのものが明治政府に招聘された「お雇い外国人」の一人、東大教授のエドワード・S・モース氏が書いた「日本その日その日」のエピソードなのだ。モース氏の来日は明治10年で、有名な大森貝塚を発見している。その傍ら東京見物をしており、隅田川の川開き見物もその一環であろう。

それを池田氏はなぜか「幕末に江戸に来た人」だと誤解しているのだった。