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[猷王(ゆうおう)・徳川家光の廟『大猷院廟』(たいゆういんびょう) 栃木県日光市、国宝及び世界遺産指定。
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これが『烈祖成績』・『三王外記』・『続三王外記』・『文恭公実録』が書いている徳川将軍家の贈り名の唐名。

1、烈祖(神祖)・家康
2、徳王・秀忠
3、猷王(ゆうおう)・家光
4、荘王・家綱
5、憲王・綱吉
6、文王・家宣
7、章王・家継
8、徳王・吉宗
9、惇王・家重
10、浚王・家治

一見、なんというか「十二国記」か中国周王朝の王号みたいですが、これなんと徳川将軍の王号。
「台徳院」「大猷院」などの朝廷から贈られた諡号(シゴウ、贈り名)を中国風に呼んだものです。
漢学者が漢文で史書を書く時に好んで使っていたようです。
『烈祖成績』・『三王外記』・『続三王外記』・『文恭公実録』はいずれも漢学者が書いた私撰(自分で書いたもの)の書で、非公式な内容なのでこういうことが書けたのかもしれません。『三王外記』は太宰春台の作ではないかと言われており(非公式なアングラ出版で「訊洋子」(じんようし)というペンネームを使っている)、それを書き継いだ『続三王外記』・『文恭公実録』も同様です。(『文恭公実録』だけは著者が明治政府に出仕しているので著者が明らかになっている)。

家康の諡号が「烈祖」なのが意外というお話があり、正直私も意外と言えば意外なんですけど、そう言えば徳川斉昭の諡号も「烈公」なんですよ。徳川家は「烈」って言う字が好きなんじゃないかな。 

なお、この漢風諡号に王を使うのは家治までで、「徳川将軍は諸侯なのになんで王なんだ!不敬だ!」という国学者からの批判もあり、11代将軍、文恭院・徳川家斉は没後「文恭公」と呼ばれています(五弓久文『文恭公実録』序)。諡号が朝廷から贈られるのも14代までで、15代慶喜にはありません(神式葬儀だったため戒名もない)。