群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

webディレクター兼雑誌記者の松平俊介が書いているブログです。

web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

2011年07月

兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい)

筆者不明。成立はハッキリしない。大阪大学の湯浅邦弘教授は明末清初の成立と考えているが、ウィキペディアには隋代成立とする説が乗っている。中国の新聞「済南日報」には、隋の開皇十六年(西暦596年)に書かれた「三十六計」が出てきたことを報じているのだが、本物かどうか。一応現地の専門家は隋代のものだと考えているようだが。(以下にその記事を載せる)

http://www.chinanews.com/cul/news/2009/07-31/1799137.shtml

孫子に始まる武経七書などの兵法書を、一般に分かりやすく四文字熟語の形式にしたもので、本文は非常に短い。易経からの引用が非常に多い。なお、一般に日本で流布している訳本には、歴史上の合戦の例が載っていることが多いが、これは原文にはない。今のところ原文を掲載し、ちゃんとした訳を載せているのは湯浅邦弘氏の「孫子・三十六経」(角川文庫)だけである。

南北朝時代の史書「南斉書」に、「檀公の三十六計、走(に)げるを上計と為す」(檀将軍の計略はかずかずあったというがな、逃げるのがいちばんの策だったそうな。」(駒田信二他・中国故事物語)という記述があるところからつくられたものらしい。檀公というのは檀道済(だん・どうせい)という中国南北朝・宋の武将のことで、退却戦が非常にうまかった。その武将の話を、宋に反旗を翻した王敬則なる人物がしゃべったのがこの三十六計なる言葉の出処である。それを、それからずいぶん後の北宋の惠洪なる坊さん(1071-1128)が、「冷斎夜話」なる漢詩エッセイ集で「三十六計逃げるを上計となす」といってから、有名になったらしい。なお、上記の新聞では三十六計は檀道済の書だと断定しているが、隋に書かれた三十六計の現物(?)が出てきただけで檀道済の書だと決め付けるのはいささか早計だと思いますね。

何分、出現したのが第二次世界大戦後で、中国の新聞の「燕山夜話」というコラムで突如発見が報道された謎の古典である。ただ、登場した時から、文章は読みにくく誤字も多いため偽作の疑いが濃厚な為にあまり重要視されなかったが、内容が合理的であることから最近よく読まれている。なお、『孫子』とは何の関係も無いし、歴史上用いられたかどうかは不明である。

中国思想史・群龍天に在り移設の弁

1998年から皆様にご愛顧いただいて参りました「中国思想史サイト・群龍天に在り(あり)」は、ネット上でも数少ない中国思想史の専門サイトとして13年にわたり運営してまいりました。紆余曲折色々ございましたが、その間、今はなき中国史の学術専門誌、大修館書店の「しにか」にもご紹介頂くなど、閲覧者の皆様に色々と有り難いご愛顧をいただき深く感謝しております。
この度、無料ページをレンタルしていたcoolオンライン殿のサービス停止(2011年6月末日)に伴い、過去の記事はWebArchive GvG殿にて保存されているものを使わせていただき、保存することと致しました。
中国思想史・群龍天に在り(アーカイブ)
新規の記事はfc2ブログ殿にて続けていくことと致しました。その際、単に中国思想史だけではなく、最近興味を持って調べている、私が生まれ育った東京の下町の歴史、千葉県の歴史についても取り上げることにしました。
従って、サイト名を「中国思想史と東京下町の記録サイト、群龍天に在り」と変更することにしました。

正直なハナシ、このサイトの中国思想に関する記述は未完成です。私は大学で中国思想をかつて学んだとはいえ、現在は一介のサラリーマンに過ぎません。ウィキペディア上の膨大な記述には中国思想関係の項目も多々あり、そこから学ぶべきことも多いです。あのような巨大な百科事典からすれば私のサイトは九牛の一毛にも過ぎません。サイトを閉鎖しようかと考えたこともありましたが、改めてネット上で個人ブログなどの中国思想史の関連項目を見たところ、驚くほど誤解が多いことがわかりました。また、ウィキペディアも非専門家の集団である以上、誤りも多いです。
テレビ情報雑誌「テレビブロス」のコラムに、芸能人に自分のウィキペディアを修正させる「ウィキナオシ」という企画がありますが、中国思想史にも「ウィキナオシ」が必要かもしれません。このサイトがそのような誤った情報の訂正拠点になれば、存在意義はあろうかと思い、移設を行いました。

中国思想史については、近年著しく研究が進みましたが、その研究成果は一般に公表されているにもかかわらずあまり知られておりませんので、そのような研究についても紹介したいと思います。

今後共当サイトをご贔屓頂けますようよろしくお願いいたします。
2011年七月吉日 松平東龍
(10月10日 加筆)

孫子(そんし)

三巻。十三篇。春秋の孫武の著。一時期孫武の孫・孫臏の著とも考えられていたが、現在では孫武著とするのが一般的。中国の代表的な兵法書。「漢書・芸文志」に、 「呉孫子兵法八十二篇.図九巻.」とあるが、現在のものは後世の付加部分(六十九篇?)を魏の曹操が削除して原型にもどしたもので、竹簡に書かれた最古のテキストも十三篇でまとまっており、これはほぼ原書に近いと見られる。
思想的には一般的に道家の影響が大きいとされるが、孫子が実体験から割り出したものに、儒家や法家、そして道家風の考え方が加わっているというのがより正確だろう。
清の孫星衍は、「孫子は儒教の六芸に近い(孫子十家注序)」と述べているが、始計編で将軍のリーダーシップを説くところなど、特にその色が濃い。孫子を含めた兵法書を四字熟語風にまとめた「兵法三十六計」は殆ど易経の用語を使って兵法を論じているが、変化に対応するための儒家の教えである易経と孫子とは一脈通じるものがあるだろう。

竹内照夫氏は「孫子が実戦から割り出した戦いに勝つための思想が、結果的に『兵法の極みは無形』になったのだ。道家の無の思想に似ているだけで、根本的には道家は戦争否定、孫子は戦争肯定だから全く違う。ただ、後世の兵法家が道家の思想書から影響を受けて文章を装飾したことはあるだろう」という意味のことを論じておられる。(岩波講座・中国思想2より)
同感である。

中国で文化大革命の時に、政府の言論統制の意をくんだ御用学者連中が「孫子は道家・法家に近く、儒教とは違う」という非学問的な宣伝をしたので、未だにその説を載せている某中国史事典もあるが、よい説ではない。

ウィキペディアには「『孫子』は、儒教が長い間王朝のイデオロギーであった間は、諸子に分類されて異端の書として扱われ、中国の知識人からは重視されてこなかった。ようやく注目を浴びだしたのは、清朝考証学の隆盛により、諸子学という分野が形成されてきてからである」などとあるが、諸子の本の中でも例外的に孫子の注は極めて多く(儒家の『孟子』『荀子』より明らかに多いはずだ)、蘇軾の「日喩」など孫子をテーマにした儒者の論文も結構あり、類書にも孫子はよく取り上げられているので、大分怪しい話である。墨子なら清になるまで注釈が殆ど無いから分かるのだが、孫子の注釈はやたらにあるからなあ。ちなみに明の劉寅の『武経七書直解』は、よく読まれた孫子の注釈書だが、「兵書は、異端の教えではありません。異端の教えとは、人民をだまし、人々をまどわす教えです。兵書は、禍乱を鎮定するための方法であって、国を治める者は習わないわけにはいきませんし、将軍たる者は学ばないわけにはいきません。(http://www.geocities.jp/fukura1234/dokuheisyohou.htmより)」と述べている。ウィキの著者は通俗的な『武経七書直解』はおろか、漢文の注釈書を全く読んだことがない人が書いているのではないだろうか。参考文献が和書ばかりで、漢籍が一つもないのも異様である。

「18世紀中葉、考証学者孫星衍が『孫子』の版本を復刻している。しかしそれも、版本や字句の異同など考証学的関心からの取り組みがもっぱらであって、兵学や孫子の思想そのものに興味関心が集まったわけではなかったのである。実践、つまり戦争への応用は現代まで待たねばならない。」などとウィキには書いてあるが、どこの孫子の解釈書にそんな馬鹿なことがかいてあるのだろう。孫子の思想を論じたものとして『李衛公問対』などがあるし、おまけに孫子のテキストの整理は宋代に既に行われており、いきなり孫星衍を出されても困る話である。

<内容について>
状況は常に変化するという変移の思想が考察のなかに生かされている。古来より兵法のバイブルとして重んぜられ、科挙の武官の試験に出題されたりもし、文章が簡潔で味わいぶかいことから、文人にも愛された。非常に体系的に戦略・戦術・戦術各論が述べられており、現在の軍事戦略・企業戦略にも大変よく用いられている。
名著であるが故にか、古来注釈は数多い。孫子、六経に比すとさえ言われている。儒教経典は絶対的な規範であったが、それすら上回る書だというのだ。本文理解の注釈には魏の曹操の「魏武注孫子」が優れているとされており(筆者には曹操の注はわからぬ。簡潔すぎて、本文理解の注といえるかどうかも読みとれない。もっとも杜牧も「簡略すぎて分からない」と述べている)戦略戦術の実例の注釈としては、唐の杜牧の注が優れている。宋の吉天保が諸注釈をまとめて「十家注孫子」を編み、これがスタンダードな注釈書となっている。

(テキストについて)長く伝えられてきた『孫子』のテキストには三つ系統がある。
前に述べた「魏武注孫子」を清の孫星衍が校訂した平津館本、
宋の吉天保が注釈をまとめた「十家注孫子」系統のもの、
日本の仙台藩の武士・桜田家に伝承されたテキスト『古文孫子』の3つである。

この三つを元に作られた金谷治氏校訂の岩波文庫本が長らく定本テキストとして用いられてきたが、1972年山東省の銀雀山漢墓より竹簡に書かれた最古のテキストが出土した。この出土した「孫子兵法」により、テキストは多いに再考された。金谷氏も銀雀山漢墓本も史料とした新しい岩波文庫本を作られている他、もっぱら銀雀山漢墓本を基本として作られた浅野裕一氏校訂本(講談社学術文庫版『孫子』)も存在している。なお、一部報道で西安の民家から「孫子」の七十二篇からなる別なテキストが発見されたと報じられたが、後の調査によりこの七十二篇本「孫子」は単なる偽作と判明しているので注意されたい。
「呉孫子」とも。
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