群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

webディレクター兼雑誌記者の松平俊介が書いているブログです。

web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

2012年11月

【古寺巡礼】神田商店街の小さなお寺と神社・出世不動尊と佐竹稲荷神社

神田駅西口商店街の中に、とても小さなお寺と神社がある。
出世不動尊と佐竹稲荷神社だ。

神田出世不動尊

見ての通り、ビルの谷間にある出世不動尊。出世不動通りの名前の由来にもなっているが…ガード下の居酒屋で有名な神田駅西口から10分弱歩く。住所で言えば、東京都千代田区内神田2丁目6となるが、地図を見ても中々分からない小さなお堂だ。でも由緒は正しいのだヨ!

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由来によると、江戸城の中にあった御三卿の一つ、一橋徳川家が祀っていた不動尊像をここにお堂を作って安置したそうだ。一橋徳川家は元文2(1737)年、八代将軍徳川吉宗の四男、宗尹が分家した家で、家格は徳川御三家に次ぐものとされ、所領は10万石というから大変な身分であった。一橋徳川家二代目の徳川治済などは十一代将軍徳川家斉の実父として権勢を誇り、松平定信なども解任してしまうほどの権力者であったという。一橋九代目の徳川慶喜こそ、徳川最後の将軍・十五代徳川慶喜であった。
その一橋徳川家が祀っていたお不動様なのだから、幕府全盛期はすごいものだったのだろう。
戦災で焼けて、お堂はとても小さくなっているが、今でも地域の人が大事にお祭りしている。

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この近くに佐竹稲荷神社がある。江戸初期に佐竹義重の屋敷があったのがここで、佐竹義重の子孫がお稲荷さんを祭ったのが由来だそうだ。今でも秋田の佐竹家とは縁があるらしく、社殿は小ぶりだが秋田杉の立派なもので、幔幕も佐竹家の家紋が堂々と描かれている。

【古寺巡礼】謎が多い布施弁天

布施弁天にお参りしてきた。千葉県文化財の山門はお正月の準備で工事中でした。人が少なかったので、お堂や仏像、文化財もじっくり見れました。

面白いのは本堂の中に、狩野探舟(ママ)の天井絵があること。探舟は多分、狩野探船(1686-1728)の誤り。絵は剥落が激しく、龍の顔ぐらいしか分からない。恐らく迫力ある龍の絵だったのだろう。

あと、奉納している絵馬に後北条氏が弁財天を拝んでいるものがあったこと。本堂の施主(クライアント)は寺社奉行で船戸藩1万石藩主の本多正永(1645年12月28日ー1711年)なので、その関係の人だろうか。本多正永の周辺の後北条氏というと、北条綱成のひ孫で、佐倉周辺に領地があった北条氏長・氏平親子がまず思い出される。

布施弁天の施主は寺社奉行の本多正永だったわけで、彼も仏教には通じていたと見ていい。なにしろ、彼の四代前の叔父さんの本多正信は浄土真宗のガチな高弟だった人で、江戸時代になっても仏教の講義を浅草でやっていたらしいのだよな。

で、元々浄土真宗だった本多氏が何故真言宗の寺の造営をしているのか?近隣の北条氏との関係をうかがわせる絵馬はなぜあるのか?この寺、意外と謎が多い。

もう一つ布施弁天で特筆すべきなのは、からくり伊賀七こと飯塚伊賀七が作った鐘楼が現存することだろう。で、この飯塚伊賀七なる人物。妙にアニメ「キテレツ大百科」の木手奇天烈斎とだぶるのだよな。ま、まさか…

木手奇天烈斎は、アニメの設定だと江戸時代の発明家。リリエンタールのグライダーよりも前に飛行機を完成させ、コロ助を作ったが、「世間を騒がせた」として捕まり、死ぬまで座敷牢に軟禁された。自分の発明を密かに『奇天烈大百科』として書き残し子孫に伝えたという人。(bywiki)
で、飯塚伊賀七。飛行機を完成させたこと、からくり人形を作ったこと、世間を騒がして処罰されたことはほぼ木手奇天烈斎と同一の事績。で、郷土の英雄として筑波研究学園都市で記念展が何度も行われている、と、いわゆる「完全に一致」レベルの事績が…筑波研究学園都市は例の「はやぶさ」開発にもからんでいたので、この話を要約すると、コロちゃんは最終的にはやぶさになり宇宙へ飛んでいったのが史実という超展開に…それでいいのか?!郷土史を調べていてこんな話になるとは思わなかった…

【古寺巡礼】小伝馬町の厄除け大師・新高野山大安楽寺

地下鉄小伝馬町駅のすぐそばに、厄除け大師があるのを知っている人はどれだけいるだろう?
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ここは新高野山大安楽寺といい、明治時代に、江戸時代の小伝馬町の牢屋敷を刑死者の慰霊のためにお寺にしたものだ。創設者の山科俊海というお坊さんが真言宗だったせいか、厄除け大師になっている。
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これは慰霊のために作られた地蔵菩薩坐像。穏やかな表情だ。
その隣に、江ノ島の弁財天坐像と同じ作りだとされる弁財天坐像を収める弁天堂がある。
本堂には大きな「弘法大師」の赤い提灯がある。
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オール読物2012年5月号【総力特集 城】

オール読物2012年5月号【総力特集 城】
そんなに面白い記事はたくさんはないようですね。
復讐鬼   伊東 潤
有岡城主・荒木村重は、筆頭家臣の中川清秀の謀略に乗り
安土新城   津本 陽
天下政権の仕上げに築く大城郭は、信長の生きる証だった
この2つが面白かった。
伊東氏のものは、
・摂津有岡藩三十五万石の筆頭家老・中川清秀が、藩主の荒木が天下りの万見仙千代を
家老に据えたいと話したことに憤り、藩主を謀反人に仕立て、追っ手になった万見も
だまして、荒木に万見も斬らせる。
 中川清秀は、荒木藩主を織田信長に密告し、領地をまるごとせしめ、
藩主一門200名を皆殺しにする。
命からがら逃げ延びた元藩主の荒木村重は、唯一残った息子の荒木村次と
大和郡山藩に仕官し、中川への復讐の機会を伺っていた…という話。

中川清秀ひどいですねえ。

この星に生まれたことが情けなくなってくる東洋史年表・解説1

この星に生まれたことが情けなくなってくる東洋史年表の解説だよ。

なお、底本?はhttp://blog.livedoor.jp/netamatome/archives/3605455.html(教科書には載らない、真の世界史)です。まとめサイトの人がどんどんかえちゃったっぽい

実はこの年表の元ネタ?は陳舜臣の『小説十八史略』だと思われ、そこに出てくるエピソードを面白おかしく曲解しているんだと思うんだな。おいらだけじゃなくていろんな人が書いていたから憶測だけどね。
とりあえず、よりぬきで。

紀元前496年 夫差、薪の上で寝る健康法考案 (臥薪の故事)
紀元前494年 勾践、獣の胆を嘗める健康法考案 (嘗胆の故事)


有名な「臥薪嘗胆」の故事。

紀元前481年 きりんさん、魯の西方の大野沢で捕らえられる(獲麟の故事)
紀元前479年頃 孔子、きりんさんが死んでいたと聞き、泣き出す。(同じく)


これはかぶっちゃいましたけど、マイナーな「獲麟」(かくりん)の故事です。
こんな話。

「紀元前481年、中国春秋時代の魯の国の西方にある大野沢(だいやたく)というところで狩りが行われた際、薪取りが見たことのない生物を捕えた。

それを知らされ、生物を見た孔子は、それが太平の世に現れるという聖獣「麒麟(きりん)」であるということに気付いて衝撃を受けた。

太平とは縁遠い時代に本来出てきてはならない麒麟が現れた上、帝王の祝福として出てくるはずの麒麟が薪取りに発見されるという異常さに、孔子は涙を拭い、ちょうど愛弟子の顔回や子路に先立たれた直後だったためもあって、自分が今までやってきたことは何だったのかというやり切れなさから、自分が整理を続けてきた魯の歴史記録『春秋』の最後にこの記事を書いて打ち切り、後世の聖人の出現に期待したのである。したがって、『春秋』はこの記事をもって終わるとされている。(ウィキペディアの記述を春秋公羊伝哀公十四年により改めた)

このことから、春秋経は別名を鱗経ともいうのですね。ちなみに、「きりんさん」といっても、クビの長い動物のキリンとは全然別です。キリンビールの缶に描いてあるやつで、要するに架空の動物です…って、この話は史実じゃないのかって?!まあ、伝説ですからね…ちなみに出典は『春秋公羊伝』。『春秋左氏伝』だと、これ以降も春秋時代の話が続きます。公羊伝は孔子が「吾が道、窮せり矣!」(ああ、もうだめぽ…)と言って、自分の理想を実現してくれるであろう後世の人々に託して、ここで記録を撃ち切ったと言っています。

紀元前479年頃 孔子、弟子顔回の貧乏を嘲り笑う(論語、やや誇張)

これは間違いで、孔子は顔回の貧乏を褒めていますね…まあ、獲麟の話に顔回が出てくるのは公羊伝なので、公羊伝を読んだ人だと思うんだけど

紀元前220年頃 張良、じじいを殴りたくなる(張良と黄石公の話)
紀元前211年 始皇帝、隕石に刻まれた悪口に激怒、現場の住人を滅殺。
紀元前207年 楚の覇王項羽、宴会で自分の叔父と甥の真に迫った剣舞を見物する。
壮士の闖入があったりとサプライズがいっぱいの宴会で大満足。(鴻門の会)
紀元前205年 劉邦、実の娘と息子を虐待する。(徐州の戦い)

この辺りは有名な話なのでスルー。司馬遼太郎の『項羽と劉邦』でも読んどいて。

以下は陳舜臣の小説十八史略ネタ。

紀元前202年 劉邦_| ̄|○を実際にやってみる
紀元前201年 単于の妃>>単于>>>>|越えられない壁|>>>>皇帝の公式が成立
紀元前196年 彭越、食材に使われる。(呂后の専制)
紀元前1世紀中頃 漢宣帝、いろいろと面倒くさいので手づかみで物を食べることを主張する。
紀元前98年 司馬遷、女になる。(司馬遷宮刑を受ける+らんま2/1)
7年 王莽、皇帝に媚びる為刀型の記念コインを鋳造。(王莽の乱)
9年 王莽、先に作った記念コインを不吉とし流通停止勧告、代わりに亀の甲羅などを硬貨に採用
25年 後漢世祖光武帝劉秀、以下のような「美少女萌え」発言をして物議を醸す(妻にするなら陰麗華)

   ∧_∧   ┌────────────
◯( ´∀` )◯ < 僕は、陰麗華ちゃん!
  \    /  └────────────
 _/ __ \_
(_/   \_)
     lll
25年 とある牛飼いが赤眉軍のくじ引きに当選し、みごとに超豪華商品をゲット。しかし本人は泣いて嫌がる。
92年 妹の班昭が、お兄ちゃんが残した歴史系同人誌を完成させる。(前漢書成立)
192年 王充、三日三晩にわたって燃え続ける画期的なろうそくを発明する。(董卓の乱)


王充ではなく、王允ですね。董卓を暗殺したあと、董卓の遺体を晒し者にしていたんですね。董卓はデブだったので、見張り番が腹にろうそくの芯をぶっ刺して火を付けたら、三日三晩燃えたっちゅうんですが、ホンマかいな。
出典?は正史三国志の裴注に引く王粲の『英雄記』。王粲は董卓に追われて家を捨てざるを得なかった人なのでこうまで誇張して書いているんでしょう。

197年 魏の武帝、未亡人とギシギシアンアンしているところを襲撃される。(曹操張繍に敗れる)
200年頃 後漢の医師張陵、米10リットルの診察代で快癒者続出、大ブレイク。(五斗米道成立)
204年 魏の文帝、父の想い人を強奪、寝取る。(曹丕の結婚)
207年 諸葛亮ニートをやめる(三顧の礼)
207年 諸葛亮孔明、やっと就職する。
208年 赤壁にてレスキュー技能世界大会開催。(赤壁の戦い)
208年頃 劉備、脱糞中に太もものシェイプアップの必要性を自覚する(髀肉の嘆)
239年 卑弥呼、魏から鏡を貰っておしゃれをする


考古学会でさんざん揉めた「景初三年鏡」の話です。おしゃれしたかどうかまではわかりまへん。

328年 劉曜、飲酒運転のあげくに事故を起こして逮捕される。

飲酒というより、酒飲んだまま馬に乗って敵陣に突入して討ち死にしたという、
五胡十六国時代のバカな武将です。まあ、劉禅の義理の孫だからなあ。

383年 苻堅の「太陽政策」失敗

滅ぼした国の民族を保護していたら結局裏切られちゃったという話に陳舜臣さんはしているのですが、
多分真相が違う。

552年 宇宙大将軍・侯景死亡確認!!
589年 陳国皇帝、井戸の底でかくれんぼをする。
590年頃 隋の文帝楊堅、夫婦喧嘩に負けて家出する


情けない話ですが『資治通鑑』に克明に記載があり、吉川幸次郎先生が中国の史書の詳細さを説明する根拠としておられます…『吉川幸次郎著作集巻1』。それもどうよ。

604年 隋の文帝、息子に妾を寝取られる
607年 隋の煬帝、キレる
613年頃 隋の煬帝、江南で美少女オーディションを行う。

629年 中国の若者がインド放浪の旅に出る
646年 サルとブタとカッパの漫才がシルクロードでオオウケ。


ご存知西遊記。

671年 大海人皇子、「おにいちゃん、ぼくたち兄弟だよ!」と叫ぶ。

壬申の乱です。

750年頃 タン帝国の北方辺境伯アフラー・ロクシャン、皇帝公認で楊貴妃と混浴成功
「タン帝国の北方辺境伯アフラー・ロクシャン」は唐の安禄山のこと。

762年 唐代の詩人李白月旅行をする

李白が酒に酔って、水面に映る月を取ろうとして川に落ちて溺死したという故事を
綺麗に表現したもの。
ただ、川に落ちた話は新唐書の捏造で、李白は親戚の家で病死したのが真相だそうな。
(高島俊男『李白と杜甫』)

901年 菅原道真、今夜も月がきれいだ、と思う。
920年頃 安部保名がキツネ耳に萌える。その結果、翌年に安倍晴明が誕生。
951年 馮道、5度目の転職。顰蹙を買う。
1004年 遼の聖宗、「おにいちゃん」と呼ぶだけですごいお小遣いを貰う約束をする。
1125年 遼、今まで虐めててある日突然キレた乱暴者とおにいちゃんに前と後ろから攻められて壊れる。
1183年 木曾義仲「倶利伽羅峠の戦い」でハンニバルの「カリクラ峠の戦い」を違法コピー。モーモーさん怒る。
1185年 今度は源義経が「おにいちゃん!!ぼくたち兄弟だよ!!」と叫ぶ
1189年 テムヂン、ケルレン河コデー・アラル付近で人語をさえずる「五色のひばりのような」謎の怪鳥を目撃する。
12世紀はじめ 宋軍2千が遼軍17騎に敗れる
1203年 モンゴル高原中央部で敗残者集団が泥水にありつく
1221年 未亡人の色気で鎌倉幕府存続

尼将軍北条政子の演説の話を脚色したものですが、色気は関係ない、多分。

1223年 支那南方で坊さんが炎天下にシイタケ干しを行い、たまたまそこにいた日本人留学生と精進料理について対話。

道元禅師の話ですね。

1225年 遼、おにいちゃんと友達にいじめられ西へ自分探しの旅に出る
1254年 モンゴル皇帝モンケ、聖書を手にとりラテン語が読めないことが発覚する。
1258年 アッバース朝のカリフ・ムスターシム、モンゴル軍馬に踏み殺される
1273年頃 マルコ・ポーロ、パミール高原で食物の煮炊きを失敗。
1279年 中国人「崖山の戦い」で日本の「壇ノ浦の合戦」を違法コピーする。
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