群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

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2013年09月

ネットで話題の「◯◯の乱」「◯◯の変」「◯◯の役」の違いは間違い?

※本件でガジェット通信系ニュースサイト「連載JP」に記事を書きました。
内容はところどころ違います。こちらもよろしく
リツイート10,000近く!ネットで話題の「◯◯の乱」「◯◯の変」「◯◯の役」の違いに歴史学者が結論を出していた!

「トウギャッター」のみならず「ねとらぼ」でも取り上げられたので驚いているのだが、
日本史の事件の名付け方の法則が話題になっている。
「◯◯の乱」「◯◯の変」「◯◯の役」の違いに対するツッコミ
これ分かってたら勉強捗ってたなあ
「変」…成功したクーデター。成功して世の中が変わった、という勝者の視点から。
「乱」…失敗したクーデター。反乱が起きたものの鎮圧した、というこれも勝者の視点。
「役」…他国や辺境での戦争。他国からの侵略(元寇=弘安の役)でも使われる。

結構ツッコミが入っているのだが、この法則はマチガイですね。失敗した変や成功した乱が結構あるじゃん、ということです。なぜ間違ったのか?「変」と「乱」の定義付けがおかしいのです。成功・失敗は実は関係がない。

歴史学者が既に結論を出して、ネットで論文が公開されていた

実を言うとこの「◯◯の乱」「◯◯の変」「◯◯の役」の違い、既に歴史学で何度も問題になっておりまして、学習院大学長の故・安田元久先生が1983年(昭和58年)に『歴史事象の呼称について : 「承久の乱」「承久の変」を中心に』という論文を書かれています。安田先生、鎌倉時代研究の権威で、日本史の戦乱を全て書いた「戦乱の日本史」という本も書いて居られます。子供の頃、「戦乱の日本史」をよく読んでたなあ。分厚い本で、子供心にはワクワクした。

安田論文「歴史事象の呼称について」(学習院大PDFファイル)

安田先生は大前提で、「教科書では呼称の統一が意識されているが、統一をする場合の根拠は必ずしも明白ではないし、不用意にも、その学問的・思想的根拠に一貫性を欠いている面も見受けられる。」とし、割りと教科書でも命名法則はおざなりだよ、と指摘しています。

乱は「反乱」「内乱」だった!
そして安田先生は、乱と変の使い分けを以下の通り述べて居られます。

「乱とは「世の乱れ」「戦乱」「大規模な政治的抗争・内乱」などを言う。その日本史上における諸事象に対する適用例を示すと、
1)政治権力に対する武力による反抗、すなわち叛乱事件として、
 藤原広嗣の乱、薬子の乱、承平天慶の乱(松平注:平将門の乱、藤原純友の乱と同じ)、平忠常の乱、保元・平治の乱、和田氏の乱、三浦氏の乱、応永の乱、上杉禅秀の乱、大塩の乱、佐賀の乱
2)政治権力の収奪による内乱状態
 壬申の乱、承久の乱、元弘の乱、南北朝の(内)乱、永享の乱、応仁・文明の乱」

成功とか失敗とかは無関係に、大規模な戦乱・内乱の意味なんですね。この他に「三州錯乱」(松平元康の今川家からの独立)というのもあり、乱を起こした側が勝利して政権交代を果たしているケースが結構ある。

変は変事・異変である

つぎに変とは「凶変」「変事」「政治変革の陰謀事件」などを意味することが多く、またときには、一つの倫理・道徳的あるいは政治的立場からの批判的判断をふまえての「不当な事件=異変」を指した。その適用例を見ると、
3)政治権力者たる天皇・皇族、あるいは将軍などが獄逆・配流などに遭い、(一つの立場から見て)不当な立場に置かれた事件
 承久の変・正中の変・元弘の変・嘉吉の変
4)政治上の対立による陰謀事件
 長屋王の変・応天門の変・承和の変・安和の変・鹿ヶ谷の変」
今風に言うと、「事件」に近いかな?

乱は世の中が変わった事件、変はあまり変わらなかった事件

安田先生は更に、
「2)を乱と呼称することには何らの疑問もない。それらは、まさに戦乱なのである。また1)4)は、そ
の時点での政治権力者側から見ての叛乱であり、また変事であって、歴史事実としては結局その政治権力者によっ
て鎮圧されている。そしてこの乱または変に際して、それらの事件を発起することが「乱逆」であり、発起主体は「乱逆人」「謀叛人」とされた。1)4)はこの点で共通するが、1)の乱と4)の変という呼称の差異は何か。それは一つには事件の規模の大小にもよるが、1)の場合には支配的政治体制の変革にも及びかねない叛乱事件を含むのに対し、4)は何れも政治的支配層の内部におこった権力闘争であって、たとえ事件の発起主体が勝利を得ても、支配体制や支配権力の構造の上で大変革が期待されるといった性質をもっていなかった点に注意したい。

一般的に呼称する乱と変の差は、主としてこの点にあり、変という呼称は政治的・社会的変革を意味するものではなかった。」といっています。

要するに、今風に言えば政党内部の争いが我々の生活には何らの問題がないようなもので、コップの中の争いが「変」であり、政権交代で景気が良くなったとかそういう話が「乱」なんですね。

(こうしてみるとテレビ局が国政選挙番組で乱というワードを使いたがるのはよく分かるなあ。定義として正しいんですよ)

という話でした。なんでもソースをちゃんと当たるのは大事ですね。

自分のツイッターの歴史ネタまとめ

○長谷川哲也『セキガハラ』ネタ

なんかキャラ設定が全てぶっ飛んでいる関ケ原合戦の漫画・長谷川哲也『セキガハラ』
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(漫画雑誌『コミック乱増刊・戦国武将列伝』で好評連載中)のネタ。家康がすごいことになっている。


久しぶりにイン殺さんのサイトを見たら「確かに柳生石舟斎を肩に乗せてて
無礼者の足を持ったまま地面に叩きつけて脳を飛び散らせる身の丈巨大な武士を見たら
普通「え、もしかして超変異した宗矩!?」って考えるのが自然ですよね。」
とあった。
まあそうですね。違いますけどね
※なんとこれが徳川家康。

まあ、徳川家康も黒田長政も柳生剣士ですからねえ。
実はとみ新蔵も原哲夫も超変異した柳生剣士・徳川二郎三郎家康くんを描いている。
なんかボブサップみたいなのが日本刀を振りかざしながらブンブン動いてんのね


まあ、家康ってそもそもボブ・サップ顔だしね…

○鎌倉太平寺炎上と里見義弘
1556年(弘治2年)、安房の戦国大名・里見義弘は東京湾をわたって対岸の鎌倉を攻めた。
この侵攻原因は今ひとつ明らかでないが、結果として小田原北条氏の新井城が炎上、鎌倉の
北条氏の寺・太平寺が炎上した。また、太平寺にいた尼さんの青岳尼と、本尊の観音菩薩像も
略奪された。青岳尼は元々房総半島にあった小弓足利家の姫君で、義弘とは恋仲だった可能性があり、
二人は直後に結婚している。


里見義弘が鎌倉の尼寺にいた元カノを奪還する目的で鎌倉を襲撃した所、
かねてから示し合わせていた元カノは義弘と駆け落ちした上、
本尊の観音様まで持って逃げた。小田原北条氏康は怒るまいことか、
「不思議な企てだ」「ビッチ死ねよ」「観音様返して」と猛抗議している

深作欣二の映画「里見八犬伝」では、最後に里見の姫と真田広之が
キャッキャウフフしながら馬に乗って駆けて行くが、
多分モデルはさっきの里見義弘の話じゃないのかな。
なにしろ鈴鹿ひろみ(違演ずる里見の姫は義弘の娘という設定で、
叔父様として太田三楽斎が出てくるのよ。あの映画

なお、義弘の元カノ・青岳尼については、
滝川恒昭氏は「没年が合わないので二人いた」説を主張している。
多分鈴鹿ひろみと小泉今日子がいたに違いない。じぇじぇじぇー

なお、里見の史料を元にした小川由秋『里見義堯』(PHP文庫)では、
里見義弘と元カノを純愛モノとして美しく描写しているが、
北条側史料を元にしたと思われる岩井三四二『不思議なるおくわだて』では、
青岳尼というクソ女のせいで皆がひどい目にあったことになっており、
180度視点が違う

【書評】歴史読本『徳川15代将軍職継承の謎』

歴史読本2013年1月号『徳川15代将軍職継承の謎』を図書館で借りてきて読んだ。
以下、目次を元に興味深い記事の抜き書きと感想。

『歴史読本』2013年1月号目次

◎グラビア
〈誌上試写室〉『大奥~永遠~【右衛門佐・綱吉篇】』
ちょうどこの頃やっていた大奥もの映画のグラビア。例の男女逆転のやつなので、綱吉は菅野美穂(!!)が演じている。美人だなー。特集記事と無理やり脳内でシンクロさせると、綱吉正室の鷹司信子が菅野美穂(!!)になるのだが、それでもいいのか。鷹司信子って、綱吉を膝枕中にぶっ刺して殺しちゃったという噂で有名な人やぞ。

◎特集ワイド 徳川15代将軍職継承の謎
初代家康から2代秀忠へ………小宮山敏和(国立公文書館)
数多い優秀な息子たちのなかで、なぜ3男秀忠が選ばれたのか?

最近、江戸初期研究で結構活発に論考を出しておられる小宮山敏和氏の論考。
『徳川実記』の、「関ヶ原の戦いの直後、家康が重臣たちに後継者を相談した」という逸話についての考察で、
「そもそもこの話自体が後世のネタじゃね?」と小宮山氏は結論づけている。『徳川実記』の逸話の元ネタが安積澹泊(水戸黄門の格さんのモデル)の書物だというからかなり後に出来た話なんだよなー。

個人的には、『徳川実記』のこの逸話にはすごく違和感があるので、小宮山氏に同感。なんで本多正信が結城秀康を後継者として推しているんだろうと昔から変な気がしていた。大久保忠隣が秀忠推しだった割に大久保家は改易されているし、変すぎだよね。

2代秀忠から3代家光へ………福田千鶴        
家光は江から生まれてはいない――兄弟骨肉の争いの謎


中公新書『江の生涯』で、徳川家光はお江の息子ではない!という新説を唱えて注目された福田氏の論考。内容は
『江の生涯』の要約って感じかな。まあ、秀忠が側室がゼロだったという通説があまりにも変すぎるので、まあ、詳しく見ていけばこうなるよなあ。

俺的には、福田センセが『週刊朝日』のインタビューで話していた「お江は吉永小百合に似ていると思う」という発言のほうが気になるが(そっちかい)。


7代家継から8代吉宗へ………白根孝胤
なぜ吉宗は、御三家同士による熾烈な後継争いを制することができたのか?


結論から言えば、尾張藩が馬鹿すぎた。徳川吉宗が根回しにより家継死亡直後に威風堂々と登城してきたのに対し、尾張藩は家老の不手際で遅刻した上、藩主と家老が直後にケンカ、家老が奇声を発して退出する始末だったらしいぞ。江戸庶民がものすごい勢いでプギャーして落首で飛び交ったという。


この時の尾張家に対する江戸庶民の反応は厳しく、附家老の成瀬正幸や竹腰正武に対して

「世の尾張 いかに成瀬と思いしに はやとりあえず きいの城入り」
「成瀬なく 竹の腰抜け 壱岐もなし 赤味噌つけて 隼人でんがく」
といった落首が飛び交い、二人の力不足で将軍の座を逃したことが批判の対象となった。

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