群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

webディレクター兼雑誌記者の松平俊介が書いているブログです。

web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

2014年04月

「睾睾睾睾(おおさわたかひろ)」は正しいか?ーデマ訓読みが流布されるまでー

ネット上で、睾丸の「睾」(コウ)の訓読みが「きんたま」の他に「おおきい」「さわ」「たかい」「ひろい」がある、だから「睾睾睾睾は、(おおさわたかひろ)という人名のような読みになる」という話が流布されている。元々は昨年の10月に2ちゃんねるのVIP板で下記のスレが立ち、それがまとめサイト経由で流布されたようだ。

「睾」←コイツの訓読みまんまでワロタwwwwwwwww
http://amaebi.net/archives/2101774.html

きんたまじゃありません「睾睾睾睾(おおさわたかひろ)」です
http://togech.jp/2013/10/24/3947

しかし、私が調べた結果、「おおきい」「さわ」「ひろい」という訓読みは正統的な漢和辞典では確認できず、『康煕字典』を誤読した為に生じた虚偽の訓読み、いわば「デマ訓読み」ではないか?という疑惑が浮上した。

藤堂明保『漢和大字典』では睾の字に「きんたま」「さわ」「まどひぬ(古訓)」
白川静『字通』では「さわ」「たかい」「きんたま」「たかし(古訓)」
小林信明『新撰漢和辞典』では訓読みなし。となっている。

ただし、『新撰漢和辞典』では意味の項目に「さわ」「高いさま」「広く大きいさま」を立てている。これが問題の根源か。

実は、この睾の字。古くから別の漢字と混同されていたようだ。『康煕字典』には「『およそ経史子の書で「睾」を「皐」とするものは皆伝写の誤りで誤字である』とあり、明代の字書『字彙』が誤っているとしている。そもそも「睾」の字に「おおきい」「さわ」「ひろい」の意味があると言い出したのは明の『字彙』・『字彙補』だが、これは古代において派生義として一瞬出た可能性があるような意味であるらしく、白川静氏は「睾の字の本義は牡器で、音が通じる他の字と混同されたものだ」と断じている。正直な話、「おおきい」「さわ」「ひろい」という意味は辞書として掲載するには用例が殆ど無く、俗受けを狙った明の人がネタ的に盛り込んだものである可能性が高い。一応『字彙』・『字彙補』には荀子や列子が用例に上がっているが、誤写の恐れもある。
 漢字学者が編纂したまともな漢和辞典で、「おおきい」「さわ」「ひろい」という訓読みが出てこないのはそのせいであろう。唯一、訓読みとして古辞書に出てくるのは「たかし」。これは類聚名義抄に典拠があるという。

 『新撰漢和辞典』では意味の項目に「広く大きいさま」を立てているのはかなり疑問である。これは『康煕字典』に引く『字彙補』に荀子を出典として載っているものなのだが、熟語「睾睾」の意味なのである。うーん。熟語の意味を単漢字の解説で使うのはちょっとね…

元々の2ちゃんのログには字書らしきものの画像が出ているが、この書物の出典は確認できていない。市販の子供の名付け字典か何かのような気がする。市販の子供の名付け字典には往々にして無学な占い師がいい加減に作っているものもあるので、DQNネームの温床として問題になっているのだが、この「睾睾睾睾(おおさわたかひろ)」もそのたぐいではないか。

東海林さだお『昼メシのまるかじり』

おいwwwなんだこれwww
エッセイ集なんだけども、根本的に全てがネタ。
これ、ネットニュースの編集者やブロガーの中では隠れた聖書となっておりまして、
ネタ系のニュースサイトはこの内容を拳拳服膺しているというのですが、以下の内容にはしびれました。
ここまで無意味な難癖を一総菜に対して延々と書けるのはもはや天才です。

最初に断っておきますが、僕はチンジャオロースーにはいい印象を持っていません。
はっきり言って気を許していません。警戒心も有ります。
なんかこう、そのやり口に油断がならない所があるからです。(中略)
もともと大した選手ではないんですよ。
牛肉を細長く切って、ピーマンと一緒に炒めただけ。
そもそもネーミングが僕は気に入りませんね。
最初にチンと来たから、こりゃあ何かあるな、ただではすまないだろうなと、
一応の腹づもりをして警戒していると、「ジャオ」なんて予想もしていないような意外なことを言って
こちらの気を抜き、さらにローと抜いてスーと抜く。
それはないと思うな。
身構えたこっちはどうなる。

向こうは向こうで「なにしろ、チンがジャオしちゃったんで、あとはローして、ス~するより仕方がなかった」
当たりの言い訳をするだろうが、その言い訳は通りませんよ!
「チンがジャオするのをどうして見通せなかったのか!」

一部引用は変更してあります。

それにしてもにじみ出る吉牛コピペ感。ああ、あれって東海林さだおの真似だったのか…
この文章を書いているのが1937年生まれの方というのもすごいですね。

神は非礼を享けず(受けず)の出典

これは、論語八佾(イツ)編の古註(論語集解)が出典である。
「季氏、泰山に旅す。子、冉有(ぜんゆう)に謂いて曰わく、女(なんじ)救うこと能わざるか。対えて曰く、能わず。子曰わく、嗚呼、曽て泰山を謂うこと、林放の如くならざりしか。」(訓読は宮崎市定博士に従う)という本文の注に、
「包曰く、神は非礼を享(う)けず」と出てくるのである。

宮脇俊三の小説にあまちゃん?!

鉄道文学の大家として有名な宮脇俊三氏の、『線路のない時刻表』が講談社学術文庫から復刊された。
いわゆる赤字ローカル線のルポということで、資料価値があるということで復刊されたのだろうか?

宮脇氏はこのなかで、「三陸縦貫線の巻」として、開通前の三陸鉄道の状態をルポし、更に、
開業後の三陸鉄道を「三陸鉄道奮闘す」としてまとめている。その最後に、
なんと、あまちゃんぽい女の子が出てくるのである。

宮脇氏が三陸鉄道の列車に乗っていると、「じぇじぇじぇ、おら、ランドセル忘れただー」
(※こんな言い方ではない)と、小学校4年の女の子が乗ってきて
「こんな純粋な子が都会などに出たらどうなってしまうのだろうか?」
と宮脇氏を非常に心配させているのですね。

まあ、それだけなんですけどね。

鎌倉時代の日本人僧侶が元の大ハーンの師匠になっていた?!ー日持伝説の謎

鎌倉時代の日本人僧侶が元の大ハーンの師匠になっていたという驚くべき伝説があるのをご存知だろうか?
実は、日蓮の高弟の一人、日持が大陸に渡り、元の仁宗の師になったというのである。

日持という人が海外布教を志したことは歴史事実のようだ。「日本はほぼ布教できた。他の人に任せておいても大丈夫だろう。師匠の教えによれば全世界に日蓮宗の教えを広めるべきなのだ。仏縁が薄い野蛮国を布教しようではないか!」と、海外布教を志し、住職をしていた蓮永寺を弟子や檀家に任せて一人飄然と北を目指したという。弟子たちは止めたが、「わしはこの身を既に仏とお祖師様に捧げたのじゃ。たとえ我が身が布教に失敗して海の藻屑と消えても惜しくはない」と断固たる決意を示したので止めることは出来なかった。確実な資料でたどり得る日持の事績はほぼここで途絶えており、没年はおろか命日も不明なため、旅だった1月1日を命日としているのだ。

ところが、大正時代になると、中里右吉郎(機庵)という人が『蓮華阿闍梨日持上人大陸踏破事績』という書物を著した。
そこには消息不明だった日持の事績が詳細に記されていたのである。
中里は現地踏査の結果、「日持は「高麗僧妙持」と名乗って中国大陸に渡り、元の仁宗皇帝の師となった。そのことは私が写してきた『宮記』というモンゴル王宮秘蔵の史料に書いてある。モンゴルに農業を広めたのは日持の功績である。日持は更に旅行し、1324年に新疆省まで達して没した」という主張を行った。この説は日蓮宗の僧であった高鍋日統らにも支持され、一時期かなり流布していたようである。

しかし、前嶋信次氏は、この中里の主張を一蹴し「破綻百出」と断じている。
傑作なのは、この中里の持ってきた『宮記』を小沢重男氏(岩波文庫の『元朝秘史』の訳者!)に見せた所、
「こんなパスパ文字は見たことがない」と言われ、中里はなんで解読できたんだろうね(棒 と言っている
ことである。
172fb7eb.png


これが『宮記』らしいですよ(前嶋論文『日持上人の大陸渡航について(下) : 宣化出土遺物を中心として』慶大「史学」より)。うーん…

Phagspa_vinokurov_tablet.jpg
これが本物のパスパ文字…素人目にも違いが何となく分かるっすね…

で、この中里氏の主張はことごとく高嶋氏に「はい論破」されているわけですが(詳しくは論文「日持上人の大陸渡航について」がネットで公開されているので見てね)、これがなかなかすごいのだな。何しろ、中里氏の上げる根拠が全部「なくなっている」んだよ。「日持の寺はどこそこにあったが、反日中国人に破壊され…」とかそんなんばっかりなんだよね。高嶋氏も段々苛ついてきたのか
「また破壊かよ」
と論文の後半では明らかにちょっとムカついているんだよね。
で、まあ高嶋氏はこの説はガセだからと結論付け、戦前に宣化(現・中国張家口市宣化区)で発見された日持の所持品などから、多分大陸にわたって宣化で没したのだろう、宣化の立化寺には「立化祖師」という坊さんが祀られているが多分この人が日持なんだろう、といっており、一応これが通説化している。
(もっとも、この日持の所持品の中に入っている西夏文字の華厳経は、どうも後世の偽物ではないかという西田龍雄氏の指摘や、これまるっと全部偽もんじゃないの?という西条義昌氏の説もあり、これすらも真偽不明なのだよね)

まあ、日本の坊さんが突然モンゴル帝国の師匠になるとか絶対ありえないしね…荒山徹でも書かないよ…
ギャラリー
  • 「現場の空気を感じれば歴史事実が浮かぶんだ!」原田伊織『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』の謎な箇所
  • 「現場の空気を感じれば歴史事実が浮かぶんだ!」原田伊織『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』の謎な箇所
  • 「現場の空気を感じれば歴史事実が浮かぶんだ!」原田伊織『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』の謎な箇所
  • 徳川将軍家は「王」だった?!ー徳川将軍家に贈られていた漢風諡号の謎~
  • 岩手・中尊寺のわんこそば
  • 岩手・中尊寺のわんこそば
  • 岩手・中尊寺のわんこそば
  • 上野「ちゅら海酒蔵」のチャンプル定食
  • 「巣鴨のお地蔵さん」真性寺銅造地蔵菩薩坐像