群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

webディレクター兼雑誌記者の松平俊介が書いているブログです。

web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

2014年05月

晋書のおバカ記事で打線組んだww

一部で人気の鐘なんとかさんに負けじと、晋書も本気を出すことにした。

1(二)孝行の徳!冬にたけのこが突然生える(孟宗伝)
2(遊)孝行の徳!冬の湖の氷が溶けた(王祥伝)
3(中)司馬家大スキャンダル!皇后が牛金と不倫発覚!(中宗元帝紀)
4(三)怪人!司馬懿、首180度回転!曹操ア然(高祖宣帝紀)
5(一)突然行方不明になっていた杜ソウさん、道端で発見(杜ソウ伝)
6(右)牛がしゃべった!あんた信じるか!(五行志)
7(左)干宝さん宅のメイドさん、生き埋めから10数年後、復活!(干宝伝)
8(捕)絶好調!張華さん、龍の肉食った!(張華伝)
9(投)中国のモーゼや!呉猛さん、長江を割る!(芸術伝・呉猛条)

全盛期のアライバにも比すべき1番・2番の「孝行の徳」の俊足巧打コンビに、
牛金・司馬懿・杜ソウというクリーンナップの重量打線など中々の布陣ではないかと思う。
なお、呉猛ー張華のバッテリーは田中将ー嶋に匹敵する名コンビではないか。
テイスト的にはメンチコピペと飛べ!必殺うらごろしがゴッチャになっているがご勘弁いただきたい。

「吳猛,豫章人也。少有孝行,夏日常手不驅蚊,懼其去己而噬親也。年四十,邑人丁義始授其神方。因還豫章,江波甚急,猛不假舟楫,以白羽扇畫水而渡,觀者異之。」(芸術伝呉猛伝)

いや、「江の波、甚だ急」な状態なのに白羽扇でサクッと川面を割って渡るとか、「觀者異之」どころじゃないだろ・・・

水滸伝人物元ネタ一覧

水滸伝の武将は歴史書に元ネタがあることは学界ではよく知られている(と思う)。
しかし、一般向けの本でこの話が出てくることは殆ど無い。とりあえず、最も有名な宋江三十六人について。
といっても、元ネタ不明の人も結構多い。
<ほぼ確定>
托塔天王 晁蓋→北宋初期の趙匡胤(宋の太祖)
天魁星“呼保義”宋江→北宋末の宋江+北宋初期の趙匡義(宋の太宗)
天機星“智多星”呉用→北宋初期の趙普
天勇星“大刀”關勝→北宋末の同名武将+三国志の関羽
天威星“雙鞭”呼延灼→北宋初期の呼延賛
天平星“船火兒”張橫→南宋
天損星“浪裏白跳”張順→南宋

晁蓋→宋の太祖 宋江→宋の太宗 呉用→趙普は既に明治以前から言われていたようだ。

http://d.hatena.ne.jp/soei-saito/20100611/1276263159によると、
「 『水滸伝』の回で、三木竹二がサミュエル・スマイルズやジョン・スチュワート・ミルの翻訳で有名な中村敬宇が『水滸伝』について述べたという説を紹介している。
 それによれば、『水滸伝』は宋の建国の歴史を下敷にしているのだという。宋の基を築いた太祖趙匡胤の片腕として活躍したのが趙普で、彼は太祖の弟であり帝位を継いだ太宗にもよく仕えた。ところで、太祖には成人した二人の息子がいたにもかかわらず弟が帝位を継いだことに対しては、その正当性に対して古来疑いがかけられており、太祖の部屋から斧の音が聞えてきたなどというまことしやかな話も伝えられている。こうしたことが『水滸伝』の下敷になっているというのである。
 つまり、一番はじめ梁山泊の頭領であった晁蓋が太祖に当り、それを継いだ宋江が太宗ということになる。趙普に当たるのが呉用で、最初は晁蓋に仕えて梁山泊を再興したが、宋江が仲間に加わってからは宋江と近しくなり、兄に当たる晁蓋を戦いにやり、その戦いで晁蓋は毒矢に当たって死ぬのだ。そして、晁蓋は梁山泊の基を築いた人物であるはずなのに、百八人の仲間には入っていない。こうしたことによって、暗に正史にひそむ不義を寓しているというわけである。」
 この説には宮崎市定氏(『水滸伝 虚構の中の史実』)、大塚秀高氏(『天書と泰山 : 『宣和遺事』よりみる『水滸伝』成立の謎』)も同じような主張をおこない、大塚氏は「野史にある宋太祖暗殺疑惑の話が、正史『宋史』では消されたものの、『続資治通鑑長編』『楊家将演義』等に残っており、水滸伝はそこから着想されたものだろう。晁蓋の晁は朝であり、宋朝=晁宋となり、晁蓋宋江の名は宋太祖暗殺疑惑を連想させるものだ」というのである。宮崎氏は趙匡胤が若いころに弱きを助け強きをくじく男伊達で、晁蓋とソックリなことを上げておられる。『飛龍全伝』なる趙匡胤が暴れまわる講談さえあるのだから
 もうひとつ私が気づいたこととして、趙普がしばしば「学究」と呼ばれていることがある。「学究」は無論、呉用のあざな。

南宋の《楽庵語録・付録》に以下の様な記述があるという。(http://news.ifeng.com/history/zhongguogudaishi/detail_2010_08/09/1911812_0.shtml)
太宗欲相趙普,或譏之曰:普山東学究,唯能読《論語》耳,太宗疑之,以告普。普曰:臣実不知書,但能読《論語》,佐太祖定天下,才用得半部,尚有一半,可以輔陛下。太宗釈然,卒相之。

つまり、趙普は山東学究(山東の田舎学者)でしかないと言われていたのである。

他の四名は宋史に登場する。呼延賛、楊業、張順はいずれも列伝にある。関勝は列伝はない。その他、大塚氏がいうように、九玄天女は趙匡胤の母、杜太后であろう。
 こうなってくると晁蓋・宋江周りの女性達もモデルがいそうである。ちなみに趙匡胤には三人の皇后がいた。梁山泊の女将も3人である。何かあるのだろうか?

天閒星“入雲龍”公孫勝→不明。三十六人の中で後から加えられた人らしい。

天雄星“豹子頭”林沖→不明。三十六人の中で後から加えられた人らしい。
天猛星“霹靂火”秦明


  天英星“小李廣”花榮  天貴星“小旋風”柴進

  天富星“撲天雕”李應  天滿星“美髯公”朱仝

  天孤星“花和尚”魯智深→北宋の悪僧(by『夷堅志』)  

  天暗星“青面獸”楊志→北宋の楊業  

  天空星“急先鋒”索超→唐の李愬?  天速星“神行太保”戴宗→『夷堅志』王超

  天殺星“黑旋風”李逵→北宋末の宋江+北宋初期の趙匡義の暗黒面

  天微星“九紋龍”史進→北宋末の盗賊  

  天劍星“立地太?”阮小二→北宋末の張栄  天平星“船火兒”張橫→南宋

  天罪星“短命二郎”阮小五→北宋末の張栄  天損星“浪裏白跳”張順→南宋

  天敗星“活閻羅”阮小七→北宋末の張栄  

  天慧星“?命三郎”石秀→章惇  

  天巧星“浪子”燕青→宋史・李邦彦

高廉→平妖伝の王則 王英→元末の武将

三国志おすすめ書籍

三国時代のことを書いた本は山のようにあるし、ボクも山のように読んできた。
ただ、その中でお勧めできる本は一握りである。中国書・日本書問わず色々上げてみよう。

1,正史三国志関係
百衲本三国志(台湾商務印書館)
 現存最古の正史三国志の版本を復刻したもの(影印本)。中華書局版の恣意的な本文改変を嫌うのであれば
これを読むしかない。一時期こればかり読んでいたが、最近は流石に疲れるので中華書局版も見るようになった。
三国志(中華書局)
 ネット上に転がっている正史三国志の原文はこれである。ところが、これ、高島俊男氏が指摘するように、
「劉備軍をヒイキするような妙な本文改変がある」という欠点がある。こーゆーのを金科玉条のごとく崇めるのは
ちょっとねえ。手頃で読みやすいからいいけどねー。
三国志選注
 これが日本の三国志読みの間で何の話題にもなっていないのはオカシイのではないか?
 正史三国志の文章には、実は結構読みづらい箇所がある(例:呉書呉主伝の評「孫權屈身忍辱任才尚計有勾踐之奇英人之傑矣」)。有勾踐之奇英人之傑矣を、駒田信二は「勾踐の奇英あり。人之傑なり」と読んで奇英という言葉の意味は良くわからないとしているが、この本では「勾踐の奇、英人之傑なり」と読み、注釈で「100人の人に優れるのを英という」としている。そういう原文の一字一句の訓詁は随分日本の三国志読みの間ではいい加減だと思う。三国志選注はそういう点をかなり真面目にやっている。もっと評価されていい本だ。中国書取扱店でも入手困難だが。
三国志集解
 知る人ぞ知る正史三国志の注釈だが、高島俊男氏が「これさえあれば従来の『三国志』研究がすべて居ながらにして見られるわけだ。無論陳寿の本文も裴松之の注もある。要するにもうほかにはなんにもいらないという、重宝この上ない本である」というのはかなり褒め過ぎだと思う。読むと分かるが、これ訓詁が弱く、地理関係に異様な力が入っているんですよ。これは清朝考証学における三国志研究が専ら地理の検討が主だった影響だと思う。多分、清朝の文字の獄を恐れて一番無害な地理研究ばかりになったのではないだろうか。今の中国と一緒で、政治的なことを下手に書くと変な難癖を付けられて処刑されかねなかった訳で、その影響が随所にある。あと、他の正史の引用も多少あるが、やはり省略が多いので、これだけに頼るのはかなり危険。あと、宮崎市定先生が断じている通り、清朝考証学者で三国志を研究した人は、一流の学者がいなかったとされている。従って、集解に引く学者の説は、どうかと思うものもある。
 例えば孫策伝集解の王懋竑の説「孫策は張昭・虞翻など一流を登用できた。武力だけの人ではないのだ。それに引き換え孫権と来たら、陸遜を使いこなせず、二流の呂蒙・凌統・甘寧など、孫策が登用した人物に比べればカスのような奴しか取れなかった。孫権が天下が取れないのは当たり前だ」という話は、学者としても少々見識を疑うところだ。張昭・虞翻って、そんなにすごかったかなあ。

2,三国志以外の歴史書
資治通鑑
 やっぱり読むべきでしょう。陳寿や裴松之をさんざん読み込んで、相当苦労して考えた後が見て取れますし、見識も高いです。胡三省の注も分かりやすく大変勉強になります。司馬遷『史記』と並ぶ二大名著と言われるだけのことは有ります。
私が大学で教えていただいた石川忠久先生が司馬光の評論とそれに付随する部分だけを訳した『資治通鑑選』(平凡社中国古典文学大系)は、部分訳ですけれども非常に素晴らしいものです。今は原文全文が中国語版ウィキにも上がっているので随分楽になりました。晋書より通鑑の方が当てになる(注:司馬光が今は消滅した五胡十六国各国の正史を読んでいて、そこから書いているため)というのもひどい話だが、ある意味事実です。
晋書
 腐れ縁というか、この本とも随分長い付き合いですが、どうも芸能週刊誌的というか、サイゾーとか週刊新潮のようなノリなんですよねえ。ただ、これ以外に晋代のまともな史料は殆どゼロですので、読まざるをえないというところです。
十八史略
 三国時代から魏晋南北朝の部分はどうも資治通鑑の略本のような作りですね。原文併載のもの(明治書院版と徳間文庫版)がおすすめ。くれぐれも、「新十八史略」や「小説十八史略」を読んで十八史略を読んだ気にならないで欲しいところです。あれは別物だし、十八史略原文に比べるとどうかと思うところが多いです。面白いところが取られず、変なところや歴史演義モノのネタが紛れ込んでいて、どうかと思います。
宋書
 三国志注でお馴染み、裴松之の親友・何承天が原型を作ったもの。裴松之注のノリで魏晋史の短命王朝の
散逸した史料をスタッフが一生懸命、一生懸命探して書いたことが評価され、晋書と違い後世の評価も高い。とくに志部分がいいですね。三国時代の地理はこの人達が随分調べています。四庫全書総目提要では「楽志は聖人の
教えを守り散逸した史料を集め、よくわからないものは句読を切らず後ろに付録としてつけている。
義例としてもっとも宜しい。」と褒めています。三国時代の漢詩を一生懸命集めてくれたので、我々が曹操の詩を読めるのは彼他のお陰です。呉の孫権が作らせた下手な漢詩は必見?!三国志ファンにはもっと知られてもいい本でしょう。あ、雄略天皇(倭王武、ヤマトタケルのモデルとされる)の雄大な上表文も読めます。古代日本人が中国に全く屈せず、堂々と権利を主張したことはもっと知られてもいいでしょう。
魏書(北魏書)
 曹操後継を称した元魏の正史。まあ、ここまで来ると読まなくてもいいでしょう。台湾ドラマ「北魏馮皇后」の元ネタ。著者・魏収(魏延の子孫ではなく、前漢の魏無知の子孫だといっている)がオリラジの藤森慎吾もかくやという有名なチャラ男で、編纂作業中にキーセンパーティーをやらかしていたことが発覚。
読者から「俺の先祖を悪く書いた」とクレームも出たため、「汚い歴史」と言われている。
なお、四庫全書総目提要や塚本善隆老師によると「たしかに著者はチャラいけど、先祖がどうのとかいう話、あれは言い過ぎ。そんなにひどい歴史書じゃないよ」とのこと。
 三国志関係の記述は薄め。ただ、東晋の司馬叡のことを「牛金のセガレであって司馬一族じゃない!」と言ってるのはある意味すごいです。
3,三国志演義関係書
三国志演義(中国各社)
 毛本は中国書取り扱い書店なら割と簡単に入手可能。漢文としては口語がまじりますが割と読みやすいでしょう(少なくとも晋書よりは)。原文で読むと、漢詩が読めるのがいいですね。以前、石川忠久先生に「三国志演義など、白話小説の漢詩はかなりくだらないという人がいるのですが、どうでしょうか?」とお聞きしたら「そんなことはないです。白話小説でも特に紅楼夢の詩はいいですよ」と教えていただいたことがあります。羅貫中なかなか詩人ですよ。唐の胡曾みたいなプロの漢詩人の詩も入っています。演義の訳本で漢詩を省いているものも有りますが、あれはちょっといただけないと思います。
三国志演義(立間祥介訳)
 まあ、これが一番面白いですね。訳も日本語としてこなれていると思います。学界での評価も高い(あの辛口の高島俊男氏が褒めているぐらいですから)。漢詩は漢文書き下し。
三国志演義(村上知行訳)
 これはこれで面白いのですが、漢詩の訳がちょっと頂けない。「董卓は怪獣ゴジラか?」とかいう訳文。あれ誰も止めなかったのかよ…

あと色々ありますが、吉川英治版は最早古典として別格でしょう。最近のものでは北方謙三版が私は好きですね。どちらかといえば正史三国志の小説版だと思いますが。文章が非常に漢文脈でメリハリがあって素晴らしいと思います。

4,三国時代の概説書
5,三国時代の専門書
6,その他雑書

これはまたあとで書きます。

「意識高い系」皇帝の乱立ー常見陽平説で五胡十六国を解読する

人材コンサルタントの常見陽平氏が、『「できる人」という幻想』(NHK出版新書)という本を書いています。
なかなか、社会学的にも歴史学的にも面白い本です。無論ビジネス書としても読めます。が、これを読んで実は「五胡十六国の皇帝って、今風に言えば『意識高い系』のイタイ人が多かったんじゃないかな?!」とふと思ったんですね。

エライ、突拍子もない感想で、おそらく常見氏も驚かれるのではないかと思うんですが、実は昨日訳した『魏書』匈奴劉聡伝とも関わりがあります。

『魏書』匈奴劉聡伝を今風にいうと、

「曹操の魏がせっかく中国を統一しようとしていたのに、劉備と孫権という訳のわからない男が、ベンチャー国家である蜀・呉が建国してしまった。劉備たちが荒らしまわったおかげで、『五胡十六国』というベンチャーかぶれの変な小国が次々に乱立し、戦争をお互いにおっぱじめるので中国の政治はかえってメチャクチャになった。魏の後継者である北魏王朝はこれらの変な小国を討伐して戦争をなくし、民衆の生活に貢献した」
と書いてあるんですね。

これ、常見陽平さんの説と実は似ているところがある。
常見氏の説を大変乱暴に要約しますと、
「スティーブ・ジョブスのプレゼンの猿真似をする『意識高い系』の中身の無い人間が多くなり、起業ブームに煽られて、
単に『起業』『株式上場』を目指すだけの若い経営者も増えてしまった。起業家が英雄視された挙句、タレントまがいの者、政治家まがいの者さえも出てきてしまった。『できる人』幻想の成れの果てだ。成功している起業家ももちろんいるが、そういう人は大企業などで経験を積み、地道に苦しんでやってきた人だ。起業家を英雄視する社会、若者に異様に高い理想を求める現代は異常だ」
というものになるかと思います。

五胡十六国の皇帝たちは、劉備と孫権という、庶民出身の大英雄に憧れるあまり、今で言えば市長程度の領地しか持っていない人間でも平気で建国するようになっています。三崎良章『五胡十六国』(東方選書)を見ると、建国して数年しか持たないものさえも平気で皇帝を名乗っています。

例えば現在の山東省だけしか領地がなかった南燕国は建国から12年で滅亡、その他、皇帝を名乗ったものの国として形を成さないまま滅んだ国が五ヶ国、50年以上持たなかった国は五胡十六国中十国を超える…というありさまでした。

私は、五胡十六国の歴史を調べていてなんでこんなに短期間に皇帝に即位して簡単に滅亡するのかまるでわからなかったのですが、常見氏の「『できる人』幻想の成れの果て」という話を読んで、どーもこれは、五胡十六国の皇帝たちは一種の建国ブームみたいなものに踊らされて、「秒速で中国を統一する」みたいな痛い考えにとりつかれていた人が少なからずあったんじゃないかなあとも思えてきました。

ちなみに某秒速1億氏まがいの言動をする人は、五胡十六国の皇帝たちには割りと有りふれており、何個か国を作ってはつぶし作っては潰ししてよくわからないうちに歴史から消えていった人も居ます。歴史は繰り返す。「地道に苦しんでやってきた人」も無論いるわけで、その典型的な例が北魏の太祖でしょうか。

魏書卷九十五の匈奴劉聡伝・序文の簡単な訳

北魏の正史・魏書の卷九十五・匈奴劉聡伝・序文は三国から五胡十六国を、魏書の著者・魏収が概観したものである。
曹操の魏を継いだ北魏王朝の目線からの見かたで興味深いのだが、これまでほとんど注目されず、古田武彦氏が講演でネタにしたことがあったぐらいで、和訳もないので、簡単に意訳してみた。正直、故事成語を大量に駆使した流麗な四六駢儷文なので、それをキチンと訳すのは相当大変であり、これはあらすじだけの訳であることをおことわりしておく。

もっと簡単にいえば、「後漢末の乱世をせっかく、曹操様・曹丕様が平定したのに、逆賊孫権と逆賊で盗人の劉備が荒らし回り、変な格好のバカども(劉備と孫権)のせいで、そのお仲間のヤカラどもが乱立し、おかげで中国が滅んだ。劉備の後釜の劉淵一味、苻堅一味など五胡のヤカラと、孫権の後釜の司馬叡一味(東晋)は死ねばいいのに。で、曹操様の後継である我が北魏こそが正統王朝であり、ヤカラを平定したのは我々の功績である」というのですね。以下、原文(大分途中を削っている)の後に意訳をつける。

夫帝皇者,配德兩儀,家有四海,所謂天無二日,土無二王者也。三代以往,守在海外,秦吞列國,漢并天下。逮桓靈失政,九州瓦裂,曹武削平寇難,魏文奄有中原,於是偽孫假命於江吳,僭劉盜名於岷蜀。何則?戎方椎髻之帥,夷俗斷髮之魁,世崇凶德,罕聞王道,扇以跋扈,忻從放命。

(要旨)皇帝とは至尊の位であり、孟子が「天に二つの陽がないように、この世界の王も二つはいらぬ」というようなものだ。要するに皇帝は一人だけなのだ。しかし、秦漢の後、後漢末の桓帝・霊帝の失政のために中国は分裂してしまった。魏の武帝・曹操様は逆賊を平らげ、魏の文帝・曹丕様は中原を治めた。にもかかわらず、ニセ孫氏が呉を名乗り、ニセ劉氏の盗賊が蜀を名乗った。まったく、どうしたわけだろう?孫権・劉備というチョンマゲのバカ殿、ザンバラ髪の野蛮人共のせいで世は悪人を崇めるようになり、王道はまれになってしまい、悪事が横行して善事が引っ込んだ。

※椎髻は非常に訳しにくい言葉です。少数民族の髪型なんですけど、
http://oldblog.voc.com.cn/sp1/chenyongqiang/163004494578/1217494579715_494578.jpg
こういうやつなんですよね。チョンマゲでも弁髪でもニュアンスが違うんだよなあ。弁髪ではないのでチョンマゲにしましたけど…

※「蜀」というだけで本来は蔑称になる!といういい例だと思います。枕流亭主永一さんがいうように、「蜀ファン」とかいう言い方は本当はアカンのですね。劉淵はちゃんと「漢」と呼んでます。蜀というだけでもけなしているのですが、更に「僭劉、岷蜀に名を盜む。」と最大限にこき下ろしています。「偽孫」という言い方もひどい。(本項の書き下しは
@yunishio氏のツイッターでのご教示に従い改めました。ありがとうございます)

晉年不永,時逢喪亂,異類羣飛,姦凶角逐,內難興於戚屬,外禍結於藩維。劉淵一唱,石勒繼響,二帝沉淪,兩都傾覆。徒何仍釁,氐羌襲梗,夷楚喧聒於江淮,胡虜叛換於瓜涼,兼有張赫山河之間,顧恃遼海之曲。各言應曆數,人謂遷圖鼎。或更相吞噬,迭為驅除;或狼戾未馴,俟我斧鉞。

(要旨)西晋は短かった。内紛が起こっている時に夷狄どもにつけこまれて国が滅んだのだ。劉淵が騒ぎ、石勒がやかましくした。西晋の二人の帝(懐帝・愍帝)は劉淵一味に捕らえられて、いじめられた挙句に不幸な死を遂げられ、洛陽・長安は壊滅した。なんとひどいことだろう。更に前秦の苻堅だの、東晋の司馬叡だのが中国を荒らし回り、涼州には異民族がむやみに氾濫した。この連中を討伐しなくてはいけなかった。

太祖奮風霜於參合,鼓雷電於中山,黃河以北,靡然歸順矣。世祖叡略潛舉,靈武獨斷,以夫僭偽未夷,九域尚阻,慨然有混一之志。既而戎車歲駕,神兵四出,全國克敵,伐罪弔民,遂使專制令、擅威福者,西自流沙,東極滄海,莫不授館於東門,懸首於北闕矣。

(要旨)北魏の太祖様は風雪をものともせず、黄河以北を平定された。北魏の世祖様は優れた戦略で夷狄どもを潰し、天下統一の大志を抱かれた。こうして我が魏の神兵は中国全土を駆け巡り、民衆を保護した。西はシルクロードの砂漠、東は渤海まで平定したのだ。
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