群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

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2015年07月

斎藤義龍の名前について 「斎藤范可」の謎

古い日本史事典(旧版・角川日本史事典 昭和四一年 高柳光寿・竹内理三編)の
斎藤義龍の項目では、

「1527ー61(大永7-永禄4) 戦国大名。道三の子。母三芳野は美濃守護斎藤頼芸の側室で義龍を宿して道三に嫁してのちに生んだと言われる。はじめ新九郎高政と称し(以下略)」 

と、斎藤高政→斎藤義龍と改名したとしていたが、これは現在では誤りだとわかっていると思われる。 なにしろ弘治2年(1556年)9月の「斎藤高政安堵状」、翌3年の斎藤高政名での「織田信成(武蔵守)宛書状 ※1」が残っているのだ。

※1 勿論、例のフィギュア選手氏ではなく、俗に「織田勘十郎信行」と言われる信長の弟である。 

ところが、この旧版「角川日本史事典」 の影響力は意外に侮れないようで、マンガ「斎藤道三」(本宮ひろ志)では「斎藤新九郎高政」名で長良川合戦までずっと登場しているし、未だに「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」などでは「初名・高政、利尚」が踏襲されているのである。

ちゃんと書いてあるのは谷口研語先生が書かれた「朝日日本歴史人物事典」の斎藤義龍の項目くらいである。

なお、この斎藤義龍、名乗りが色いろある。この際なのでまとめて考察してみよう。

斎藤義糺 群書類従本「江濃記」の表記。行書「龍」の読み誤りのような気がする。
斎藤義辰 寛政譜「松波氏系譜」の表記。辰と龍は同義。

斎藤范可 この表記が一番謎である。自筆署名(『美江寺文書』)に書かれているのだが、
「信長公記」には、「范可は唐の人で、親を殺して孝行を為した人物なので道三を討った後に改名した」とあるのだが、「斎藤范可」名の文書は道三を討つ前に出されている。

さらに、『新唐書』『旧唐書』『資治通鑑』『全唐詩』いずれで検索しても「范可」はヒットしない。ただ、 『新唐書』『旧唐書』の用例を見ると、范という漢字の使われ方は決まっていて、大体いつも「范陽」という都市、もしくは「范陽節度使」という官職名としてなのである。

 范陽節度使といえばあの安禄山の官位なのだが、この安禄山も斎藤道三と同じく簒奪者で、しかも長男を廃して弟に後を継がせようとして、長男に暗殺された人物なのである。何か関係があるのだろうか。

 もう一つの可能性があることに気づいた。 「范可」とは「范曄」(ハンヨウ、後漢書の筆者)の誤字ではないか?というものである。曄という字は中国人でも中々見ない字であるらしく、「顧頡剛口述中国史学入門」の著者・何啓君は顧頡剛に「范曄の曄というのはどう読むのか」聞いたそうである。范曄を「ハンカ」と読む百姓読みは前に聞いたことがあるので、范曄→「ハンカ」→ 「范可」なのではないか?

松波家の謎ー斎藤道三は美濃斎藤氏の遠縁かー

「濃陽諸士伝記」斎藤氏由来には、「斎藤氏の子孫」として多数の姓氏を上げているが、その中に、「松波」があることは殆ど知られていない。

 元々美濃斎藤氏も出自が言うほど定かな家ではない。 「濃陽諸士伝記」も「いつの頃だか知らないが土岐の家臣になった」というほどで、一応、藤原利仁の子孫で長井の斎藤を称したというが、詳しい出自は以外なほどわからないのである。なんとなく土岐氏の守護代になったというだけの人々である。有名な斎藤妙椿以降の系図も混乱しており、斎藤妙椿と斎藤利三らとのつながりも不明である。『寛政譜』では斎藤妙椿と斎藤利三は無関係とし、斎藤利三の先祖は斎藤実盛で、先祖代々美濃に住み、土岐氏に使えていたとあるばかりである。

 そもそも斎藤利三の父・斎藤利忠が「阿波に移る」とあるのは一体どういうことなのだろうか。斎藤利三の妹が長宗我部元親の妻であることはよく知られているが、司馬遼太郎の小説「夏草の賦」では長宗我部元親が美濃の先進性にあこがれてわざわざ斎藤利三の妹を妻にしたいと遠路はるばる使者を立てたという話を作っているが、眉唾ではないか。阿波にいた妹と土佐の元親が単に結婚しただけなのかもしれない。

「江濃記」などによると、松波庄九郎、後の長井豊後守利隆(新左衛門尉?)の子・長井正利が「斎藤道三(秀龍?)」を名乗る前に、既に断絶していたようだ。

司馬遼太郎の小説「国盗り物語」ではあたかも美濃斎藤氏が大変な名門であり、素浪人の松波庄九郎が権謀術数の末に乗っ取ったように書いていたが、単に美濃斎藤の分家である松波氏出身の長井豊後守利隆が、力をつけて本家の斎藤氏を継いだだけだったのかもしれない。だとすれば織田信秀が織田の本家を継いだのと対して変わらないのではないか?
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