久しぶりに、「やべえよ…やべえよ」と困惑してしまったネタを発見してしまい、当惑している当ブログ筆者です。
お久しぶりです。

さて、当ブログでは以前から「東京の範囲はどこまでか」を調べるネタを追ってまいりました。
これは写真家の大山顕さんの「どこまで東京?」 というサイトにハゲシク感動してしまったためです。
僕も大山さんの呼びかけに応じて投稿しているんですね。これとか。 

で、まあ、これ、エリアマーケターとしては割りと仕事とも関連するシビアな問題でして、特にネット広告とかを打つときには「東京のどこまで打つか」は割と議論になるところなんですよ。かの「ランチェスター販売戦略」とかでも結構問題になるし、日本のシンクタンクのまあ、元締めみたいな内閣府とかでも結構定義がバラバラ。歴史的に見ていっても時代により「東京の範囲」は激変しているんですね。

例えば、江戸時代まで「江戸」の範囲は非常に狭かった。
江戸時代初期における江戸の範囲は、現在の東京都千代田区とその周辺であり、江戸城の外堀はこれを取り囲むよう建造された。明暦の大火(1657年3月2日ー4日)以後、その市街地は拡大。通称「八百八町」と呼ばれるようになる。1818年、朱引の制定によって、江戸の市域は初めて正式に定められることになった。今日「大江戸」としてイメージされるのは、一般にこの範囲である。」 (ウィキペディア「江戸」の項より引用)

まあ大江戸の範囲ってのは要するに「地下鉄大江戸線」(ただし新宿以西は除く)の中だけですね。 
この範囲が1878年(明治11年)の「東京市」制定まで引き継がれて、区割りもその範囲内で行われます。
いわゆる「東京15区」です。現在の23区は昭和になってからなんですね。意外と新しい。ちなみに現在の東京都にあたる地方自治体は明治元年に設置され、「東京府」という名称でしたが、これがまたすごくややこしい変な変遷をします。

東京15区1878年
(東京15区 ウィキペディアより)

明治時代の東京は、ITベンチャー並みの爆速で範囲が変わっていた!!

明治3年以降、東京府(現・東京都)は領域を物凄い勢いで変えていきます。そもそもの発端は廃藩置県なのですが、それにしても良くわからない動きです。ややこしいことに小菅県という、東京都足立区・葛飾区・江戸川区・荒川区、千葉県野田市・流山市・柏市・松戸市・市川市・船橋市、そして東京ディズニーランドがある浦安市を県の領域とする「もう一つの東京」さえ東京府と別に存在しているんですね。要するに東京都がもう一つ有り、千葉県を含んでいた東京都があったわけです。しかも東京ディズニーランドの浦安市はその中にあった。

以下、分かりにくいので自治体名は全て現在のものとします。

明治3年 失業対策として北海道根室市及び別海町を突然東京都内に編入 北海道庁からクレームが出たため年内に返還
明治4年11月14日 廃藩置県により、小菅県を廃止。足立区・葛飾区・江戸川区・荒川区などを東京都に編入 現在の千葉県内の各市町村はここで東京から離脱 浦安も離脱。
明治4年11月23日(十日後) 神奈川県庁からクレームが出たため多摩地域は神奈川県に返還 
町田が10日も立たない内に爆速で神奈川に戻る

明治4年12月5日 練馬区・杉並区・中野区・新宿区・渋谷区・目黒区・品川区・大田区・世田谷区を併合
(この後中野・杉並が突然神奈川県になったり、突然東京都になったりするがややこしいので省略)
明治11年 伊豆諸島を東京都に編入
明治25年 
無理やり多摩地域を東京都に編入 町田も支配下に 神奈川県民が暴動を起こすが無視 そして、現在の東京都の範囲が確定

なんですかこれは。場当たり的かつ支離滅裂な地域変更で盛大に草が生えますね。特に町田が神奈川県のクレームでわずか10日で爆速で神奈川に戻るあたり、実に香ばしい。明治25年の多摩編入も理由は諸説ありますがよくわからないらしい。神奈川県がしょっちゅう東京都と争っているのがわかりますね。

逆に千葉県が意外とおとなしいのですが、どうも千葉県そのものが木更津県と印旛県に分裂していたうえ、印旛県の県庁舎がなく、日本橋に一時期間借りしていたなど、どうも東京に頭が上がらなかったようです。しかし浦安が一時期とはいえ東京都内だったというのも驚きですね。ミッキーは間違っていなかったんだ。それにしても船橋まで東京都内だったのか。ふなっしーは公式設定では西暦138年(成務天皇8年)生まれですのでこの時代を知っていてもおかしくないですねw

なお、現在の東京都に名前が変わるのは昭和18年(1943年)、東京23区は更に遅れて1947年(昭和22年)の練馬区の板橋区からの分離独立を以って発足していますので、なんと東京23区の誕生は戦後なのでした。