群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

webディレクター兼雑誌記者の松平俊介が書いているブログです。

web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

2016年06月

水島宏明上智大教授の安倍批判に対する疑問~安倍首相演説の時間が長いのは公選法違反か?~

 左派的傾向が強く、岸井成格氏らと共に「放送による表現の自由や、放送が健全な民主主義の発達に資することが危機に瀕(ひん)している」などと、自民党に抗議声明を送りつけるなどしている大学教授が居る。上智大学の水島宏明氏である。元日テレの看板であちこちに記事を書いている。

 最近質の低下が著しいヤフー個人で、以下のような安倍批判を繰り広げていて空いた口がふさがらなかった。
 

【メディア分析】NHKで安倍さんの露出時間が長いのは公職選挙法違反では?

  http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20160626-00059294/
(以下引用)
 筆者はかつて民放テレビで長く記者をしていた経験を持ち、現在は大学で「ジャーナリズム」を専門に研究し、学生たちに教えている人間です。このため、今回の参議院選挙でも新聞やテレビがどう報じているのかに注目してウォッチしています。参議院選挙の公示日の6月22日(水曜日)や最初の週末を迎えた6月25日(土曜日)のテレビでのニュースでの取り扱いを検証していて、民放各局とNHKのニュースでは扱いが相当に違うことに気がつきました。簡単にいうと民放各局のニュースは各党の党首が露出している時間が「機械的に平等」といえるほど厳密なのに比べて、NHKのニュースだけが「機械的に平等」を守っていない印象なのです。
(中略) 
 

NHKでは選挙期間中も民放と比べて安倍さんの露出時間が突出して長いという事実が判明しました。

公示から投票までの期間のニュースは、各党で不平等な扱いをすると公職選挙法に抵触してしまう可能性があるので機械的に各党の党首や候補の演説の持ち時間を「平等」にするように配慮します。それが長年、民放の報道現場で働いてきた筆者の「常識」でした。実際に民放ニュースを見てみると、ほぼそうなっています。

ところがNHKニュースだけは自民党の党首である安倍首相の露出する時間が非常に長いのです。

こうした取り扱いは選挙の「公明かつ適切」を目的とする公職選挙法に違反するのではないでしょうか? (http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20160626-00059294/)

とんでもない勘違いをしているようなのでご忠告申し上げるが、そもそも公職選挙法に「機械的に各党の党首や候補の演説の持ち時間を「平等」にするように配慮」しなければならないという条文はどこにあるのか教えていただきたいものである。

それどころか、公選法には水島教授の主張と全く相反する条文が存在する。水島教授は法律の条文と業界慣習を混同しておられるのではないか。公職選挙法第151条の3にはこうある。

第百五十一条の三  この法律に定めるところの選挙運動の制限に関する規定(第百三十八条の三の規定を除く。)は、日本放送協会又は基幹放送事業者が行なう選挙に関する報道又は評論について放送法 の規定に従い放送番組を編集する自由を妨げるものではない。ただし、虚偽の事項を放送し又は事実をゆがめて放送する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない。

どういうことなのだろうか。記事にはそもそも条文を載せていない。 これでは印象操作、「虚偽の事項を放送し又は事実をゆがめて放送する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害」することにつながってしまいかねない。法律解釈論は無論条文のみで完結するものではないし、所属名を含めた顕名で堂々と意見を開陳されている以上、なにか裏付けがあるのであろうから、このように舌足らずの記事ではなく、堂々と「公職選挙法何条に違反しており同法151条の3とは関係ない」旨を書いていただきたいものである。
 

史料解題「柳営婦女伝叢」(りゅうえいふじょでんそう)

柳営婦女伝叢は国立国会図書館デジタルコレクションで見られる、江戸幕府将軍の妻子の史料集である。
編者は三田村鳶魚で、
筆者不明「玉輿記」(ぎょくよき)
筆者不明「柳營婦女傳系」(りゅうえいふじょでんけい)
竹尾善筑「幕府祚胤傳」(ばくふそいんでん)
竹尾善筑「幕府釐女傳續編」(ばくふりじょでんぞくへん)
から成っている。 

「玉輿記」はかなり伝説というか伝奇色が濃く、隆慶一郎氏の伝奇小説「捨て童子松平忠輝」のタネ本の一つである。三田村氏も言うように、大奥の姫と若君に関する怪しい話をまとめた本で、 松平忠輝にしても「ウロコが生えていたので水泳が上手かった」などというのは全く言語道断なものである。両生類やかっぱでもあるまいし。
どうも服部一族が書いていたものらしいが、まともに取り合うべき本でもないであろう。

「柳營婦女傳系」は「玉輿記」よりもっともらしく書いてあるのだが、系図が関心しない。これによると後醍醐天皇の御子、信濃宮宗良親王の嫡男が臣籍降下して源尹良を名乗り、征夷大将軍に任じられた、これが松平清康の先祖である…というのだが、ちょっとどうなんでしょうね。 

江戸しぐさは「逝きし世の面影」を誤読していた!明治10年頃に「江戸しぐさ」を心得た人々がいた?

江戸しぐさ伝説の中でも最もぶっ飛んだ主張をしている池田整治氏の文章の中に、以下の様な記述がある。
 行き交う人々は、江戸仕草の体現者であり、挨拶や話している様子も明るく、そこにいるだけで心温まります。野の鳥さえも人の肩に留まってさえずっています。一番気性の荒々しいと思われる船乗りが集まる船着き場に行ってみると、聞こえてくる言葉は、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」ばかり 彼らは、日本人が自分たちのことを南「蛮」人という意味がよくわかったと手記にも書いています。http://www.funaiyukio.com/ikedaseiji/index_1206.asp
池田氏はそれに続けて、この美しい江戸が「世界金融支配者の裏からの支援を受けた新政府軍の武士たちにより滅ぼされ、江戸しぐさの体現者は老若男女にかかわらず、わかった時点で斬り殺されていった」と主張している。
 ところで、池田氏の言う「江戸しぐさの体現者の美しい江戸」の記述の元ネタと思われるものを発見した。おそらく渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)であろう。
「楽しい群衆」のおとなしさ、秩序正しさについては、モースがたびたび述べている。
隅田川の川開きを見に行くと、行き交う舟で大混雑しているのにもかかわらず、
「荒々しい言葉や叱責は一向聞こえず」、ただ耳にするのは「アリガトウ」と「ゴメンナサイ」の声だけだった。
彼は書く。「かくのごとき優雅と温厚の教訓!しかも船頭たちから!なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来たったかが、段々判って来る
(原注:モース「その日」。同書162ページ)    
ここまで符合していれば、この描写の元ネタは『逝きし世の面影』であることはほぼ明らかであろう。しかし、実はこの話は、
江戸しぐさが明治新政府軍の江戸っ子狩りで消滅したはずの、明治10年頃の話でしかないのである。
 
なにしろ、渡辺京二氏が元の本で示しているように、この体験談そのものが明治政府に招聘された「お雇い外国人」の一人、東大教授のエドワード・S・モース氏が書いた「日本その日その日」のエピソードなのだ。モース氏の来日は明治10年で、有名な大森貝塚を発見している。その傍ら東京見物をしており、隅田川の川開き見物もその一環であろう。

それを池田氏はなぜか「幕末に江戸に来た人」だと誤解しているのだった。
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