あんまりクリスマス感はないのだが、懐かしゲーム「信長の野望・全国版」に登場する戦国大名は江戸時代、何をしていたのか?をちょっと調べてみた。戦国大名が江戸時代何をしていたのかについては、歴史学的にも蒲生真紗雄先生・小川恭一先生などの調査・研究があり、参考にさせていただいた。

まず、調査結果から。
 
国番号 国名 大名名 江戸時代
1国 蝦夷 蠣崎慶広 蝦夷・松前藩主
02国 陸奥 津軽為信 陸奥・津軽藩主
03国 陸中盛岡 南部晴政 陸奥・南部藩主
04国 陸中岩崎 葛西晴信
05国 羽後 秋田愛季 陸奥・三春藩主
06国 陸前 伊達輝宗 陸奥・仙台藩主
07国 羽前 最上義守 出羽山形藩主→近江・大森領主
08国 磐城 結城晴朝 越前・越前藩主
09国 岩代 葦名盛氏 出羽・角館領主家は無嗣断絶、支流が仙台藩士
10国 越後上野 上杉謙信 出羽・米沢藩主
11国 常陸 佐竹義重 出羽・久保田藩主
12国 下野 宇都宮広綱 水戸藩家老
13国 安房 里見義堯 旗本(150俵)
14国 武蔵伊豆 北条氏政 河内・狭山藩主など
15国 甲斐信濃 武田信玄 大和・郡山藩主(支流)、高家
16国 能登 畠山義綱 旗本(高家・3120石)
17国 越中 神保氏張 旗本
18国 飛騨 姉小路自綱 旗本(御書院番士・700石)、大阪夏の陣で奮戦
19国 木曽福島 木曽義昌 下総阿知戸藩主家は不行跡で断絶、女婿は木曽代官(7500石)として存続
20国 遠江駿河 今川義元 高家
21国 加賀 本願寺光佐 准門跡(十万石格)
22国 越前 朝倉義景 遠江掛川藩主→旗本
23国 美濃 斎藤義竜 旗本(勘定奉行・1000石)、義龍の弟の系統
24国 三河 徳川家康 徳川将軍家
25国 尾張 織田信長 出羽・天童藩主など
26国 伊勢志摩 北畠具教 旗本(小普請奉行・1100石)、具教の大叔父の系統
27国 近江 浅井長政 旗本(500石)
28国 伊賀 六角義賢 嫡流は高家だったが改易、支流は筑前藩・丹後藩など
29国 丹後若狭 一色義道 嫡流は断絶、支流が常陸土浦藩主
30国 丹波 波多野秀治 肥前藩士
31国 山城 足利義昭 下野・喜連川藩主
32国 大和 筒井順慶 旗本(江戸町奉行・1000石)
33国 摂津和泉 三好長慶 長慶の大叔父の系統は旗本(2,020石)、叔父の女系は出羽亀田藩主
34国 紀伊 堀内氏善 旗本
34国 紀伊 雑賀孫市 旗本→水戸藩士
35国 因幡但馬 山名豊国 但馬村岡藩主
36国 播磨 別所長治 伯耆八木藩主→旗本
37国 出雲伯耆 尼子晴久 長州藩士
38国 三備 宇喜多直家 八丈流人
39国 安芸長門 毛利元就 長州藩主
40国 讃岐 十河存保
41国 阿波 細川真之 別流が肥後熊本藩主
42国 伊予 河野通宣 支流が伊予小松藩主など
43国 土佐 長宗我部元親 酒井藩家老
44国 土佐中村 一条兼定 公家→明治神宮宮司
45国 豊前 城井鎮房
46国 筑肥 竜造寺隆信 肥前佐賀藩主
47国 豊後 大友宗麟 支流が筑後柳川藩主
48国 肥後 阿蘇惟将 阿蘇大宮司家
49国 日向 伊東義祐 日向飫肥藩主
50国 薩摩大隅 島津貴久 薩摩藩主

参考文献は蒲生真紗雄先生の新人物往来社「戦国大名諸家譜」所載論考・小川恭一先生『江戸の旗本事典』(講談社文庫・角川ソフィア文庫)などである。以下、個別に解説していこう。

まず、戦国大名がそのまま江戸時代の藩主になっているケースは、統一が遅れた東北と九州で多い。これは蒲生先生も指摘していることで、中央政権とよほど揉めない限り旧来の権力を維持できたのである。東北は葛西晴信以外全員江戸時代の藩主・領主・藩士として存続、九州も城井鎮房以外は全て何らかの形で支配者層として残ることが出来た。

これが中央に行くと話が違ってくる。まず本州中央部(中部・東海・近畿)の戦国大名で戦国大名がそのまま藩主として残れたのは、ほとんど居ない。旧領地で残れたのは徳川将軍家を除けば木曽家だけである(しかも支流)。

甲斐武田家が元禄時代に支流の柳沢家が甲府藩主に返り咲きを果たしたのが数少ない復活事例だろう(すぐ転封されたが)。前政権の子孫として、小藩でありながらも国主格として厚遇された織田家ですら、尾張への復帰はならなかった。

中央の戦国大名で多いのは、一旦滅亡した後、江戸幕府に再就職して奮闘し、高家・奉行クラスの地位を手にしている「サラリーマン武士」たちである。元会社社長の息子がリーマン稼業をやっているようなものだ。

畠山・今川・六角が高家、斎藤・北畠・筒井が奉行である。姉小路も御書院番士として大阪夏の陣で奮戦、なんとか家名を保った。

もっともこれとても、六角家のように不行跡で改易されている家もあるので、一概に安定していたとも言えない。出世競争は熾烈であり、江戸幕府もそれなりに能力社会なので、無能では奉行などにはなれなかった。斎藤家の子孫・松波政春が徳川吉宗の「元文の改鋳」に関わり、筒井政憲は名奉行として有名であった(政敵に図られて失脚していたこともある)。藩がつぶれて再就職した後も、生存競争を勝ち抜かねばならなかったのである。そんなに収入も高くないので、今のビジネスマンたちのように勤めが終わった後、赤ちょうちんやおでん屋で「なんだあの野郎コンチクショー」などとオダをあげていたような人たちである。それなりに結果も出しているのだが…なんというか、日本型サラリーマンの元祖みたいな人たちだ。

この他、地方の藩の家老クラスで再就職しているのが宇都宮・長宗我部など。幕臣たちより給料は良かった。

これ以外の再就職?としてちょっと面白いのが「僧侶・公家・神主」で、本願寺・一条・阿蘇のようにもともと武士ではなかった人々が、元の職業に復帰して江戸時代を過ごしているケースである。東西本願寺家は十万石の格式を与えられ、生き仏様として庶民から崇拝されたという。一説には百万石の収入があったと言うが本当ですかね。

もっとも再就職できた人はマシである。行方不明になってしまっている人も何人かいるのだ。葛西、十河、城井の三家はどうなったか良くわからない。