群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

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2017年01月

水戸黄門は快楽殺人者で人間のクズってそりゃ言いすぎだよ 続「サムライ・エッセー」シリーズ・『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』の謎な箇所

疲れきった仕事からの帰り道、書店で歴史書コーナーに行くのが僕の楽しみである。
ところが、この所どういうわけか行きつけの書店が

トンデモな真実の歴史に目覚めてしまった

らしく、 『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』『大西郷という虚像』などの原田伊織の「サムライ・エッセー」シリーズだの、フルベッキ写真だの大室天皇だの江戸しぐさだの、明智の子孫だのをやたらに歴史書コーナーに置きだして

「これが隠された歴史の真実」 

とやりだしてしまったんですね。まあそれで手に取った「サムライ・エッセー」シリーズの内容の強烈なこと強烈なこと。私、本当に精神値が削られてかなり辛かったね。(なお、サムライエッセーというのは原田伊織氏の公式ホームページで名乗っている名前である。)

「水戸黄門は人間のクズ」「水戸学はテロ思想」「郷土の偉人はテロ思想の神様」って、その言い方はないでしょう

なにしろ、『明治維新という過ち』第四章「テロを正当化した水戸学の狂気」は要約するとこんなんである。

「お前のふるさとの街を作った人間(徳川光圀)は人を斬ることに快感を覚えていたおかしい人間で、水戸学の書『大日本史』に藩のカネの三分の一をつぎこんだ人間のクズだ!いいことを何もしていない!」

水戸光圀は快楽殺人者で頻繁に試し切りをし、部下を公衆の面前で手打ちにしたりしていた。
江戸時代の武士が人をめったに切らなかったのにこいつは頭がおかしい人間だ!

「お前のふるさと水戸藩は愚劣という言葉もないほど愚劣などうしようもない所だ!」
「お前のふるさとの思想・水戸学はイスラム国と一緒だ!おかげでテロリストが出てきたじゃねえか!昭和維新とか言ってテロをやっていた橘孝三郎だの井上日召も水戸じゃねえか」
お前の郷土の偉人・藤田東湖は長州テロリストの神様!
「お前の先祖の主君は代々ろくでもない人間で、無差別殺人犯(光圀)だのキチガイの息子の嫁を襲って自殺させたセクハラ野郎(烈公)だのばかりだ!

しまいにはクズのドラ息子(一橋慶喜)が戦争から逃げ出して、家をつぶしてテロリストに殺人・暴行・略奪・放火などやりたいほうだいされた!
」 

そんなことばっかりめちゃめちゃに書いているんですぜ。幾らなんでもひどすぎやしませんか。
そういえば立花隆氏の親戚のおじさんの橘孝三郎氏の影響を受けただけで群馬生まれの井上日召まで水戸扱いになってるのもすごいね(水戸育ちの立花隆氏はけなさないのも謎だが)。

 私はいわゆるチバラキの住民で新横綱・稀勢の里の故郷、茨城県牛久市で青春時代を過ごしたのである。そして先祖の一族は一橋慶喜公に仕えて尊攘派に討たれている。そして水戸納豆は毎日食べている。今日も食べた。

そういう人間が「茨城憎し!水戸憎し!」の『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』『大西郷という虚像』などの原田伊織の「サムライ・エッセー」シリーズを読んだのだからたまらない。率直にひどいと思いましたね。

あんまりだ。水戸や茨城県がそんなに憎いのか。原田伊織の「サムライ・エッセー」というのはそういう点で余りにもひどいものである。そして、それが史実に基づいていればまだガマンもできようが、以下に書くように根拠が怪しい話ばかりなので、幾らなんでも誹謗中傷がすぎるんじゃないかと思うんですよね。本当に茨城や水戸に謝ってほしい。 

まず、この本は群馬出身者を水戸扱いするなどずさんなのだが、もっともらしく書かれている内容がほとんど裏とりすると怪しいのである。

1,徳川光圀が藩の財政の三分の一を水戸学につぎ込んだという話
これは戦前の徳富蘇峰が講演で言い出したことのようだが、かなり怪しい。水戸藩の財政はかなり苦しく、『藩史事典』でもこの頃から紙の専売制をやったり光圀が藩政に苦労した話を載せている。そもそもそんなにカネがかかるのか?

2,徳川光圀快楽殺人者説
これも怪しい。よくコンビニ本にその手のライターの妄想が書いてあるがそこら辺から持ってきたのだろうか。

そもそも前提条件の「江戸時代の武士はあまり人を切らなかった」という話が怪しい。光圀の江戸初期は平気で人を切っている。例えば肥前鍋島藩の二代藩主・鍋島勝茂は父の藩祖・鍋島直茂から「お前、人斬りの練習をやれ。大手門の前に下手人が十人いるから斬ってこい」と言われて九人斬ったという(『葉隠』)。

そもそも徳川光圀が頻繁に試し切りをした話はとんでもない誤解である。井上玄桐『玄桐筆記』によると、一回だけ夜中に同行者(名前を伏せているが光圀に無理やり命令しているところから見て相当高位の人だろう。家光?)に命令されて斬ってやめてしまったという。問答を意訳すると、
ある人「お前、人斬れよ。試し切りも出来ねえのかよ、本当に臆病だな」
光圀「そんなこと言われても罪のない人を斬るなんてひどい話じゃないですか、僕はやりませんよ」ある人「何言ってやがる。テメエが腰抜けで人間のクズだから人も斬れねえんだろうが!斬ってこいやオラッ!」
光圀「……そこまで言われるのでしたらもう仕方ないです、斬ります」
と言って非人が4,5人その辺に寝ていたのを「すまないが人を斬れと言われたので申し訳ない、本当に前世が悪かったと諦めてくれ」と一人斬ったが、非人たちから「あまりにもひどすぎる」と抗議されて「こんな人斬り好きな人とは思わなかった。もう二度とお供はしないようにしよう」と思い、その後二度とその人(多分、三代将軍家光)とは一緒に歩かなかったという。これで光圀が快楽殺人者にされるのではアンマリというものだ。

たしかに現代の目から見れば光圀はひどい。しかし、この頃の将軍だの大名だのは平気で人を殺しているのである。光圀はむしろそれを拒絶し、否定する側の人だったようである。

3,徳川斉昭がセクハラ野郎だったという話

原田伊織氏は確定した史実のように「長男の嫁に手を出しそれが元で彼女は自殺している、斉昭の淫乱ぶりがうかがい知れよう」※1と断言しているが、これは元々三田村鳶魚が勝手にそう思い込んだだけの話である。史料はない。

※1『明治維新という過ち』第四章「テロを正当化した水戸学の狂気」より要約

長男の徳川慶篤の嫁さん・線姫(いとひめ)が22歳で急死したのを疑って、「これは斉昭がスケベだからなにかあったんだろう、自殺したんだろう」と著書『大名生活の内秘』で書いたのである。三田村鳶魚は江戸時代の男女関係については直ぐに芸能ゴシップのようなことを書く人であまり信用できないし、鳶魚は徳川斉昭を嫌っている人なのでどうも信頼できない。

原田伊織氏は鳶魚の本を見ていないはずで(参考文献にない)、どこかで誇張された話を又聞きしたのではないか。なお、山川菊栄は線姫の死因を、お局様からのイジメを苦にした自殺ではないかとしている。斉昭関係ないじゃないか。 

「現場の空気を感じれば歴史事実が浮かぶんだ!」原田伊織『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』の謎な箇所

原田伊織『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』(毎日ワンズ)という本を読んだが、「いやちょっとこれはなんなのよ」という所が多すぎるように思う。随時更新します。(ツッコミどころ多すぎるんだよね)

○歴史家は史料を読まなくても良い!その場にたたずめば皮膚感覚で史実が分かる!
原田伊織端書
まず『明治維新という過ち』の端書きから。
「私は元々書き物だけが資料だとは思っていない。京都・八坂通りの夕靄の中に佇めば、会津藩士や新撰組隊士が腰をかがめて長州のテロリストを求めて疾駆する姿が眼前に浮かび上がるだろう。

(中略)歴史を皮膚感覚で理解するということはその場の空気を感じ取ることだ。
な、なんですか?

「歴史現場に行って空気を感じれば歴史が理解できる?!」

超能力者かな?FBI超能力捜査官かなにかかな?

なお、この本を出した後アマゾンレビューがプチ炎上したので、それに対する釈明を続書『官賊と幕臣たち』で書いているんですけどこれもすごい。

「近年、何かにつけて一次資料だ、二次資料だと、参考資料に関することを批判、反論の材料とすることが”流行っている”ようにみえるが、余り益のあることとは思われない。

一次だ、二次だというのは、学者の世界の論文でいうことであって、歴史書全般について同じ形式や要件を当てはめる必要は全くないと考えている。

何故なら、単純にいって読者の方々が読みにくいからである


いや、何か壮大な勘違いをしているようですが、史学で史料批判とか史料の等級分けをするようになったのは最近じゃないですよ。等級わけは明治時代、史料批判は江戸時代の前期水戸学(徳川光圀=水戸黄門あたり)からですから、全然、近年ではないです。

この原田伊織氏という方、水戸学を徹頭徹尾バカにして「水戸学は狂っている」「水戸藩は愚劣と言えないほど愚劣な藩」とちょっと異常な言葉でけなし倒しているんですけど、水戸学は近代史学に色々貢献しているのにそれを全く理解しないでメチャクチャな話をするのはあんまりです。しかもその理由が、

「読者が読みにくい」

はすごい。呉座勇一先生の『応仁の乱』が売れている現在、あまりにも読者をバカにしすぎているんではないですか?それから「皮膚感覚で歴史を感じる」一種の超能力の話はどこへ?

  2,参考文献は時代小説。 原田伊織
原田伊織1
参考文献に司馬遼太郎「街道をゆく」がずらり並ぶのにはたまげました。あれも一種の小説だよねえ。佐藤雅美の時代小説というのもすごい。 北大路欣也がテレビ朝日でやっていた『八州廻り桑山十兵衛』の原作者ですよ?時代小説に出てきたことが全て史実と思っているのかな?

そもそも川路聖謨(かわじとしあきら)って膨大な日記を残した人なんですよ。平凡社から活字化されて東洋文庫として出ている。小栗上野介も蜷川新の史書や『小栗忠順のすべて』(新人物往来社刊)という入手しやすい史書が複数あるのになぜ時代小説を使うのか?

平成よ、これが徳川幕府旗本だー豊臣秀吉の孫、剣豪、青い目のサムライ、ゴッドハンドー

徳川幕府旗本については、小川恭一氏が『江戸の旗本事典』(講談社文庫)で出自から幾つかに分けているが、細分化されすぎて分かりにくいように思うので、小川氏の分類を元に私が以下の6種にまとめてみた。

1,関が原合戦以前の臣従(三河以来の旗本)
2,外様大名系
3,旧親藩藩士系
4,大奥関係
5,技能者系
6,御家人からの叩き上げ 

1,関が原合戦以前の臣従(三河以来の旗本)
いわゆる「三河以来の直参」などと言われる徳川家旧臣、譜代の旗本たちである。
厳密に言えば、「三河譜代」という分類はなく、安祥譜代・岡崎譜代・駿河譜代などに分けられるが、日光東照宮に家康とともに祀られた「徳川二十八神将」でもそれらの区別をしていない(なにしろ譜代筆頭の井伊家は駿河譜代だ)ので、どうも関ヶ原合戦以前の臣従者は一律で三河以来の旗本を名乗ってしまったらしい。
有名どころで言えば徳川四天王系の分家と大久保彦左衛門など。意外なことだが真田信尹もここに分類される(真田家は駿河譜代だったが、当主の昌幸が後に離反、真田信尹は徳川に残った為)。

やはり格式が高く、大岡越前守忠相・長谷川平蔵宣以・遠山金四郎景元といったいわゆる「名奉行」は徳川直参が多い。幕府中枢を担った人々であった。

2,外様大名系旗本
実はこれが意外と多いのですよ。どうも旗本というと「三河以来の旗本」以外イメージしづらいが、結構いる。
どういうわけか伝・豊臣秀頼の息子までいる[交代寄合の豊臣(木下)延次。大坂落城を逃げ延びて大分の豊臣残党・日出藩木下家に庇護されたというかなりウソっぽい伝承がある。実際は日出藩主の三男で分家した人物]。
秀吉の孫までいるぐらいだから、信長の子孫もいる。福島正則、柴田勝家の子孫もいる。ただ、やはり徳川直参に比べるとそれほど活躍していない。細々と血脈を保った、というのが多い。

3, 旧親藩藩士系
最近歴史学会で注目されているのがこのカテゴリ。というのは、徳川幕府を300年間存続させた原動力がここだと言われているからだ。

さて、徳川将軍は4代家綱までは直系相続できていたが、家綱が息子不在で死去すると、後継をどうするのか幕閣で議論になった。「宮様を京都からお連れしよう」という案まで出たが、「親藩の藩主で優秀な人を後継にする方がいい、分家とは言え血の繋がった男系子孫だ」ということで、館林藩主で成果を上げていた松平綱吉を後継者にした。これが徳川綱吉である。これ以降も「宗家が絶えると親藩から優秀な人を選ぶ」という制度が確立していく。

5代将軍・徳川綱吉←館林藩主・松平綱吉
6代将軍・徳川家宣←甲府藩主・徳川綱豊
8代将軍・徳川吉宗←紀州藩主・徳川吉宗
11代将軍・徳川家斉←一橋藩世子・一橋家斉
14代将軍・徳川家茂 ←紀州藩主・徳川慶福
15代将軍・徳川慶喜←一橋藩主・一橋慶喜(元は水戸藩主の七男)

さてこうなると、これらの親藩の藩士は「藩主が将軍になった場合、随行する」という形で旗本に転籍するのである。なかなか優秀な人が多く、柳沢吉保・荻原重秀・新井白石・有馬五郎左衛門氏倫など、有名人が多い(親藩時代に藩政改革で成果を出していた人が多いため)。

なお、明治政府になっても旧親藩藩士が明治新政府の財政を司っていたぐらいで、このカテゴリには財務官僚のパリパリが多い。

4,大奥関係
数は少ないが、春日局の縁者、桂昌院の縁者などが旗本になっている。

5, 技能者系
剣豪・棋士・西洋人・医師など、異能をもって特に召し抱えられた人々。
柳生但馬守宗矩、柳生十兵衛三厳、柳生又十郎宗冬の「柳生三代」、青い目のサムライとして知られるイギリス人の三浦按針、医師の緒方洪庵などがいる。

6,御家人からの叩き上げ 
幕末に多い人達で、勝海舟などがこれ。正確に言うと海舟の祖父・御家人の男谷平蔵が御家人から旗本・勘定に昇進、材木石奉行の末裔の勝家に平蔵の子・小吉が養子に入っている。 

漢籍紹介『通俗二十一史』

前回の「"不運"と"踊"っちまったんだよ的な文体はいつ生じたのか?~『通俗続三国志』・魯迅・吉川英治の流れ
でちょっと触れた、『通俗二十一史』について書いておきたい。これは、江戸時代に書かれた中国の歴史書の翻訳シリーズである。二十一史というと正史の翻訳みたいだが、必ずしもそうではない。
実は『三国志演義』にあやかって出された演義小説及び、日本人の漢学者が演義をまねて書いた「通俗物」と言われる中国歴史小説のシリーズなのであった。

まず、国立国会図書館のデータベースからシリーズの概要を引用しよう。
(http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001676246-00)

1巻 通俗十二朝軍談(李下散人)  通俗列国志 前編-一名・武王軍談(地以立)
第2巻 通俗列国志 後編-一名・呉越軍談(地以立)
通俗漢楚軍談(夢梅軒章峯,称好軒徽庵)
第3巻 通俗西漢紀事(称好軒徽庵) 通俗東漢紀事(称好軒徽庵)
第4,5巻 通俗三国志(湖南文山)
第6巻 通俗続三国志(中村昂然) 通俗戦国策(毛利瑚珀)
第7巻 通俗続後三国志(尾田玄古)
第8巻 通俗南北朝軍談(長崎一鶚) 通俗隋煬帝外史(煙水散人)
第9巻 通俗唐太宗軍鑑(夢梅軒章峯) 通俗唐玄宗軍談(中村昂然)
第10巻 通俗五代軍談(毛利瑚珀) 通俗宋史軍談(尾陽舎松下氏)
第11巻 通俗両国志(入江若水) 通俗宋元軍談(源忠孚) 鴉片戦志-原名海外新話(嶺田楓江)
第12巻 通俗元明軍談(岡島玉成) 通俗明清軍談(著者未詳) 髪賊乱志(曽根俊虎)

このシリーズの中で飛び抜けて有名なのが湖南文山『通俗三国志』で、要するに李卓吾本の『三国志演義』の「超訳」である。高島俊男氏らが指摘するように、忠実な翻訳ではない。ただ、江戸時代にはものすごいベストセラーであった。これに次ぐ人気だったのが『通俗漢楚軍談』で、横山光輝氏の漫画『項羽と劉邦 若き獅子たち』がこれに影響を受けたことでも知られる。

なお、三国与太噺さん が既に触れているように、(夢梅軒章峯、称好軒徽庵、湖南文山は、全員同一人物である。(天龍寺義轍・天龍寺月堂の兄弟)『通俗二十一史』全12巻のうち、実に4巻は天龍寺義轍・天龍寺月堂の兄弟が書いているのだからある意味すごい。日本文学史に残る兄弟作家ではないだろうか。

しかし、こうしてみると三国志、続三国志、続後三国志と「三匹が斬る!」のように三国志が続くのも異様である。日本人にとって中国史=三国志だったのがよく分かる。

なお、 通俗宋元軍談は日本人の漢学者が正史を元にオリジナルで書いた演義とされる。マカロニ・ウエスタンみたいなものだと思うのだが、どうも『元史』に引きづられたせいか非常におとなしくて中国人ぽいチンギスハンが登場するんだよなあ。

"不運"と"踊"っちまったんだよ的な文体はいつ生じたのか?~『通俗続三国志』・魯迅・吉川英治の流れ

新年明けましておめでとうございます。

新年早々、こういう話題が出ていたのでちょっと調べてみた。

"不運"と"踊"っちまったんだよ…特殊なルビが海外では「DEEP-FURIGANA」と呼ばれて悩みの種らしい

  実はこの特殊ルビ、ネット上ではマンガ『特攻の拓』などでやたらに使われていることが話題になっているが、これに限らずラノベなどでも大変おなじみの表記である。

DEEP-FURIGANAの他、「義訓」(ぎくん)ともいうそうだ。

この表記の古い例は、中国の文語体演義小説を翻訳した「通俗物」(つうぞくもの)と言われるものに頻出する。 例えば、以前にも記事にした通俗二十一史の一つ『通俗続三国志』ではDEEP-FURIGANA(義訓)が以下のように出てくる。

「晋の中護軍司馬雅……真一文字に殺(キ)って入る
謀事(ハカリゴト)
「ようやくに草命(イノチ)を脱(マヌガ)れ得たり
「趙王が曰く、此計(コノハカリゴト)甚だ妙なり」
商議(ハカリゴト)

『通俗続三国志』は江戸時代の宝永元年(1704年)に訳されたもので、この本は相当普及したらしい。なお、『通俗続三国志』の元ネタは明の酉陽野史(ゆうようやし)の演義小説『三国志後伝』である。

明治に入ると『通俗二十一史』の一つとして早稲田大学出版部から出版され、昭和の戦時中ぐらいまでは読者がかなりあったようだ。

例えば外務官僚の故・岡崎久彦氏の回想によると、『通俗二十一史』は岡崎氏の幼少時の愛読書だったそうである。(1)

(1)http://bungonosono.or.jp/Okazaki3/33.htmlによる。 なお、『通俗続三国志』については三国与太噺さんが詳しい。本稿でも参考にさせていただいた。

この、「通俗物」(つうぞくもの)の影響が漢文及び現代中国語小説の翻訳にも影響し、更にそれが日本の戦国時代の時代小説にまで影響していくのである。時代小説は演義小説の影響下に成立しているから。

幾つか例をあげよう。 例えば魯迅の現代日本語訳でもこのDEEP-FURIGANA(義訓)はよく使われている。

魯迅『阿Q正伝』の井上紅梅[1881年(明治14年) - 1949年(昭和24年)]訳より
「ずいぶん蒼蝿(うるさ)い」
羅馬(ローマ)字」
郡望(まつり)
「今度こそ阿Qは凹垂(へこた)れた」
青竜四百(ちんろんすーぱ)!」
井上紅梅は大正・昭和期の中国文学者で、麻雀のルールを日本に紹介したり、魯迅作品の翻訳をしたりした。「当時最大規模の明代白話小説集『今古奇観』の翻訳を刊行し、他にも『金瓶梅』『儒林外史』の翻訳も確認されるなど、中国小説の受容におけるパイオニアとして多大な貢献をしている」(2)人物である。

この翻訳は1932(昭和7)年11月18日に出版された改造社版『魯迅全集』が底本。(3)

(2)勝山稔『改造社版『魯迅全集』をめぐる井上紅梅の評価について』東北大学中国語学文学論集 第16号(2011年11月30日)より引用。
(3)青空文庫の刊記より。

その後の吉川英治『黒田如水』(初出は「週刊朝日」朝日新聞社、1943(昭和18)年1月~8月)にもしばしばDEEP-FURIGANA(義訓)が出現する。

ただし、『通俗続三国志』や井上紅梅訳『魯迅全集』に比べるとDEEP-FURIGANA(義訓)の出現頻度は相当落ちる。恐らくこのあたりがDEEP-FURIGANA(義訓)の日本文学での末期ではあるまいか。
吉田城へ質子(ひとじち)を入れられよ
其許(そこもと)
悪戯(いたずら)ざかり
コノ若殿、魁(サキガケ)御在(オワセ)
与君一夕話(きみにあたういっせきのはなし)
このように並べていくと分かるように、用例の殆どが漢文や現代中国語を翻訳しようとした結果として、漢文書き下しをフリガナにしてしまったり、現代中国語をいきなりフリガナ(いわゆるカタカナ中国語)に置き換えてしまうために生じたものである。
これらの文体は現代日本語の文が洗練されていくに従って徐々に消滅していった。

DEEP-FURIGANA(義訓)に恐らく決定的な打撃を与えたのは当用漢字の制定と現代仮名遣いの普及であろう。当用漢字制定時に訓読みも相当制限され、これまでのような自由な訓読みができなくなったのがDEEP-FURIGANA(義訓)の衰退を促進したのではあるまいか。

さて、DEEP-FURIGANA(義訓)は逆になぜ文学作品から姿を消し、ラノベやマンガにだけ残ったのか?

ここからは筆者の推測であるが、恐らくこんなことがあったのではないだろうか。 戦後の文化の中で、外国語の翻訳から影響を受けた最も大きいジャンルはSF小説である。

そして、SF小説の翻訳時にDEEP-FURIGANA(義訓)が多用され、それがSFの影響を受けたラノベに残存したのではないか。

また、呉智英氏などが指摘するように、「不良の漢字好き」が昭和の文化としてあり、そういう人々が吉川英治『三国志』などの影響でDEEP-FURIGANA(義訓)をよく用い、それがヤンキー文化として残った……ということではあるまいか。

以上、まだまだ用例数も少なく推測も多いが、一応考えてみた。
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