群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

webディレクター兼雑誌記者の松平俊介が書いているブログです。

web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

ネタ記事

【ネタ記事】戦後日本を操ったのは春風亭柳昇師匠である~日本会議陰謀論は正しかった~

老子いわく「太上下知有之。其次、親之豫之。其次 、畏之侮之。」と。
真の指導者は存在だけ民に知られるだけであり、親しまれる指導者は二流に過ぎず、ましていわんや、畏れられたり小馬鹿にされたりする指導者は下の下だと言うのである。

前回取り上げた菅野完氏の著書『日本会議の研究』を調べていく内に、これまで私が知らなかった日本の真の支配者「日本会議」について知ることが出来、大変勉強になったが、私ははたと気づいたのである。まさしくアセンションである。
「大きなことを言うようですが」でお馴染みの春風亭柳昇師匠、日本会議代表役員なんですね。その上落語芸術協会を支配していたのだから日本の政治を操っていた上に芸能界まで支配していたことになるんだぞ。これは安岡正篤よりすごいでしょ。でも柳昇師匠が動くと永田町が激震とか聞いたこと無いけどね。しかし、それこそ「太上下知有之。其次、親之豫之。其次 、畏之侮之。」なのだね。存在だけが知られている指導者こそ真の指導者なのである。

戦後日本を操ったのは日本会議代表役員だった故・春風亭柳昇師匠である。

それは間違いないことであると私は確信した。

 春風亭柳昇師匠は元軍人の落語家で、江戸しぐさの芝三光師が率いた「江戸講」と矛先を争った民衆側のリーダー「富士講」の講元である。
 余談だが、芝三光師「江戸講」がGHQにつき、リベラル色が強かったことを、「江戸しぐさは保守派の陰謀」だと主張しているある人に説いたが、何しろ彼らはエッセイストの山本夏彦が江戸しぐさを広めたと固く信じこんでおり、「江戸しぐさは保守なんだよ」と繰り返すばかりであった。史料の提示を求めたがはぐらかされてしまった。

日本会議を率いたのは名目上は最高裁元長官なのであるが、実は名目上でやっている人が多いようである。実際の実権は代表役員の柳昇師匠が握っていたのである。
柳昇師匠は以下のように日本会議では説いていた。
  若し日本に〝日本会議〝という大きな組織が無かったら日本はどうなってしまうのだろうと思うことがあります。
 それは五十余年前、一度も経験したことの無い敗戦と言う大きなショックで心ある日本人は何もいわなくなってしまいました。
 全く無口になってしまったのです。それに引き換え怒濤のように踊り出したのが左翼の人達でした。〝自由〝〝革新〝〝進歩〝と口を揃えて吠え始めました。
 それにどうしたことかマスコミもこれに同調、今までの考えを持った人達を〝古い〝〝汚い〝と悪の権化のように叩いて来ました。
 それがどうでしょう、この人達の神のようにあがめたソ連が崩壊したり、共産国の行き詰まりの現状を見るようになっても左翼崇拝の人達はまだ目が醒めません。拉致と言う恐ろしい事をしたのも共産国です。
 靖国神社を参拝する者は〝無知、下品、幼稚〝と罵る田原総一郎氏のようなひとをこのままほっといて良いのでしょうか。
 何も言わない日本人の皆さん!立ち上がりましょう。
(http://www.nipponkaigi.org/voice/5years/kakkai#years547)

他のメンバーが明らかにお義理のような文言を述べている(大半の人は自分のエジプト旅行の話をしたり、自分の専門分野の宣伝をしたり、人事のように「これからもがんばってください」などと述べている)時に、柳昇師匠だけが 猛然と呼びかけているのに気が付かれるであろう。

それこそが春風亭柳昇師匠が日本会議をリードしていたという証左なのであろう。 

柳昇師匠が日本会議や落語芸術協会と一緒に仕切っていた「ゆうもあくらぶ」も、実態は保守派の憲法改正を目論んだ運動体の一つであり、現に「ゆうもあくらぶ」は一時期安倍晋三氏が会長であった。現在は自民党の山東昭子氏が会長である。

だから私はこう言いたい。戦後日本の巨魁、それが春風亭柳昇であると。
いわゆる「草の根保守」は、彼の手駒に過ぎなかった…と。

そもそも昔から疑問だったのである。なぜ一介の芸人のはずの春風亭柳昇師匠が弟子を政権中枢に送り込み、北海道や沖縄を掌握し、一介の芸人でありながら税金で寄席(国立演芸場)まで作らせることができるのであろうか。そもそも柳昇ギャルズとか、アニメに登場していることも一介の芸人の枠を遥かに超えている。そこには明らかに日本会議の陰が見え隠れするのである。

そして、弟子のブレーンはソ連崩壊を予言した東工大教授なのである。

「大きなことを言うようですが」は謙遜ではなかったのだ。

(※タネ明かし これはいわゆる「日本会議陰謀論」のパロディです。「日本会議陰謀論」は、日本会議に属している人間が日本政府を動かしうるであろうと言う前提に立ち、全ての行動をそれにこじつけるのものです。従ってコレは完全なるコジツケです。「ゆうもあくらぶ」は戦後すぐから有るユーモアある行動を表彰する団体でなんの政治色もないはずです。文中の弟子は立川談志家元のこと。北海道・沖縄開発庁事務次官を務めましたが短期間で辞任しています。完全なネタ記事であります。ご寛恕下さい。念のため)

清原・山月記

泉州岸和田の清原和博は恵体豪打、昭和の末年、若くして名をドラ1に連ね、ついで西武尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、監督の命令に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく西武を退いた後は、猛牛、讀賣に帰臥し、人と交りを絶って、ひたすら肉体強化に耽った。下吏となって長く膝を球界のドンの前に屈するよりは、アスリートとしての名を死後百年に遺そうとしたのである。

 しかし、名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。  この頃から麻薬禍でその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀いで、眼光のみ徒らに炯々として、曾て甲子園を沸かせた頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一バラエティタレントの職を奉ずることになった。一方、これは、己れの野球人生に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったドラフト外・育成選手などの後塵を拝さねばならぬことが、往年の儁才清原和博の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。

 彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。  或夜半、清原は急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出だした。彼は二度と戻って来なかった。附近の球場を捜索しても、何の手掛りもない。その後清原がどうなったかを知る者は、誰れもなかった。  

翌年、先の帝大野球部指導・日刊体育新聞社評論家、河内若江郡の桑田真澄という者、勅命を奉じて相模に使いし、途に下北沢の地に宿った。次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道の百エーカーの森に人喰熊が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。

桑田は、しかし、供廻の帝大野球部の猛者どもが多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。  残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛熊が叢の中から躍り出た。熊は、あわや桑田に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。

  叢の中から人間の声で「あぶないところやった…」と繰返し呟くのが聞えた。
 その声に桑田真澄は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、キヨではないか?」ややあって、低い声が答えた。「如何にもワイは岸和田の番長の清原や」と。
 桑田は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐げに久闊を叙した。そして、何故叢から出て来ないのかと問うた。清原の声が答えて言う。「ワイはもう、プニキになっとるんや。なんで、おめおめと強敵(とも)の前にあさましい姿をさらせるんや。」

 「どうか、ほんの暫くでいいから、ワイのキモい今の外形を厭わず、曾て君の友キヨであったこのワイと話を交してくれんかな」彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は百エーカーの森の傍らに立って、見えざる声と対談した。都の噂、旧友工藤公康の消息、桑田が現在の地位、それに対する清原の祝辞。

 青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それらが語られた後、桑田は、清原がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。草中の声は次のように語った。「1年前や。ワイがいつもの様にヤクをキメてるとな、突然戸外で誰かがワイの名を呼んどるんや。」

 「ワイは声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫んで走っとったんや。何や身体中に力が充ち満ちたような感じで、こら久しぶりに場外ホーマーもいけるやんと思ったんや」

 気が付くと、手先や肱のあたりに毛が生えとるんや。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既にワイは熊となっていたんや。その時、眼の前を一匹のピグレットが駈け過ぎるのを見た途端に、ワイの中の人間は忽ち姿を消したんや。」

「再びワイの中の人が目ぇ覚ました時な、ワイの口はピグレットの血に塗みれ、あたりには豚の毛が散らばっていたんや。これがクマになった初めやな」

 「それ以来ワイが今までに百エーカーの森でどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びないやで。ホームランダービーとやらでピッチャー返しでティガーを悶絶させ、指をさして笑ったロビカスをシメた後は手がどす黒く変色しとったわ。灰皿も割れてたしな。」

「ただ、一日の中に必ず数時間は、人の心が還って来るんよ。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、ノムラの教えを誦んずることも出来るやで。その人の心で、熊としてのワイの残虐な行いのあとを見、ワイの運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しいんや」

桑田はじめ一行は、息をのんで、百エーカーの森の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。「他でもないんや。ワイは元来、野球指導者として名を成す積りでいたんや。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至ったんや。ワイの野球理論数百編、まだ世に行われとらんのよ」

「これをワイが為に伝録して欲しいんや。何も、これに仍って一人前の野球監督ズラをしたいンやないで。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れんのや!分かってくれるよな?」

桑田は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随って書きとらせた。清原の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。

しかし、桑田は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。「なるほど、清原くんの素質はやはり一流に属するものであることは疑いないでしょうね。しかし、このままでは、超一流の選手となるのには、何処か非常に微妙な点が欠けるところがあるのではないか、と思うんですね」

野球理論を吐き終った清原の声は、突然調子を変え、自らを嘲るか如くに言った。「羞しいことやけど、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、ワイは、己の野球理論がメジャーリーガーの机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるやで。岩窟の中に横たわって見る夢にやで。嗤ってくれや。野球監督に成りそこなってヤク中の熊になった哀れなヤツをな。(桑田は昔の青年清原の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いていた。)」

時に、残月、光冷かに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この野球人の薄倖を嘆じた。清原の声は再び続ける。

 「何故こんな運命になったか判らンと、先刻は言ったけどな、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもないんや。人々はワイを倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかったんや。勿論、曾て甲子園は清原のためにあるといわれた自分に、自尊心が無かったとは云わん。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものやったんや!

  ワイは野球によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて自主トレで切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、ワイは俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為なんや…ワイの珠に非らざることを惧るが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、ワイの珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかったんや!
 
 ワイは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々ワイの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になったんや。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったンや!!!

 ワイは、ワイの有っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳や。才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とがワイの凡てやった。ワイよりも遥かに乏しい才能だった舎弟の小田幸平な、ヤツは才を専一に磨いたがために、堂々たる捕手となったやで」

「熊と成り果てた今、ワイは漸くそれに気が付いた。それを思うと、ワイは今も胸を焼かれるようやで。ワイには最早、人としての生活は出来ない。」漸く四辺の暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処からか、パトカーのサイレンが哀しげに響き始めた。

「最早、別れを告げねばならぬ。牢屋に入る日が近づいたから」と、清原の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことや。」「君が南から帰ったら、ワイは既に死んだと彼等に告げて貰えんやろか。決して今日のことだけは明かさないで欲しいんや。」
桑田は叢に向って、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。桑田も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺がめた。

忽ち、熊のような清原が捕吏に連行され、草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。清原は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、捕吏にパトカーに押し込まれ、再びその姿を見なかった。(終わり)

 
ギャラリー
  • 「現場の空気を感じれば歴史事実が浮かぶんだ!」原田伊織『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』の謎な箇所
  • 「現場の空気を感じれば歴史事実が浮かぶんだ!」原田伊織『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』の謎な箇所
  • 「現場の空気を感じれば歴史事実が浮かぶんだ!」原田伊織『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』の謎な箇所
  • 徳川将軍家は「王」だった?!ー徳川将軍家に贈られていた漢風諡号の謎~
  • 岩手・中尊寺のわんこそば
  • 岩手・中尊寺のわんこそば
  • 岩手・中尊寺のわんこそば
  • 上野「ちゅら海酒蔵」のチャンプル定食
  • 「巣鴨のお地蔵さん」真性寺銅造地蔵菩薩坐像