群龍天に在り(webディレクターと歴史好きの雑記帳)

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web技術者・web記者の松平俊介の江戸時代とweb技術についての雑記ブログです。web技術者の傍ら、雑誌記者として各種月刊誌・webメディア『ガジェット通信』に執筆してきました。 webの時事問題や、web制作、ウェブマーケティング、江戸時代史や『江戸しぐさ』批判などが主な執筆範囲。 これまで書いてきた主な記事→http://rensai.jp/author/touryuuuan

江戸しぐさ批判

Q&A 原田伊織のサムライエッセー批判まとめ

目次:
1,原田伊織氏のサムライエッセーとはなんですか?
2,原田伊織氏とはどういう方ですか?
3,『明治維新という過ち』は隠された真実を描き出すものでしょうか?
4,「その場に佇めば歴史事実がわかる」とはどういうことですか?
5,幾らなんでも江戸しぐさとは同列に扱うのはおかしいんじゃないですか?
6, 参考文献が68冊もあるのですからその中には史料もあるでしょう。小説ばかりという批判はよくないのでは?
7,長州が明治以降の日本を捻じ曲げて侵略戦争を始めたのは事実ではないのですか?
8,今の安倍政権は薩長政権だと原田伊織氏は断言していますが本当ですか?
9,「攘夷」「維新」「国体」「志士」などの言葉は水戸学や長州テロリストの創作なのですか? 

10,教科書会社は原田伊織氏とどういう関係にありますか? 

1,原田伊織氏のサムライエッセーとはなんですか?

作家の原田伊織氏の本の総称のようです。
原田伊織氏の公式サイトでは自分の著作のことを「サムライエッセー」と呼んでいます。

2,原田伊織氏とはどういう方ですか?

本名は原正和というようで、公式プロフィールは下記のとおりです。自分でも言われていますが歴史学を学んだことはないようです。
【原田伊織プロフィール】

作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加した
マーケティングの専門家でもある。

株式会社Jプロジェクト代表取締役。
1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、
彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。
おもな著書に、『原田伊織の晴耕雨読な日々』『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』
『官賊と幕臣たち』『夏が逝く瞬間』(以上、毎日ワンズ)、
『大西郷という虚像』(悟空出版)など。

 (http://j-project.biz/iori_harada.htmlより)
3,『明治維新という過ち』は隠された真実を描き出すものでしょうか?

そういうには余りにも疑問が多いです。
まず、原田伊織氏が「発見」した話は「明治維新はなかったろう論」のように辞書も引かずに思いついたものが多く、それ以外の話は小説から取ったのではないかという物が多いのです。単純な事実誤認もかなり多いです。

水戸藩関係の事実誤認は既に書きました。

他の事実誤認の例として「明治維新はなかったろう論」があります。

これは、原田伊織氏が主張する「明治維新という名称は明治時代にはなく、昭和維新を起こしたテロリスト・右翼・軍人たちが流行らせた」「維新とか攘夷とかはテロリスト育成をしていた水戸学が創作した新語」というものです。

これは国語辞典をひくだけでも維新は『詩経』由来だということが分かりそうなものですし、江戸時代の平戸藩主・松浦静山が藩校に「維新館」とつけているぐらいで、水戸学創作説には何の根拠もありません。

明治維新という言葉は明治21年の小中村義象『大政三遷史』で「明治維新」という言葉が既に使われています。



維新という言葉そのものが明治時代の文献(例・明治五年の沖志楼主人『維新御布告往来』)などに出てくる始末です。

4,「その場に佇めば歴史事実がわかる」とはどういうことですか?
原田伊織氏が主張する歴史書の書き方です。彼は、「歴史資料は副次的なものであり、歴史上の事件が起こった現場に行けば、私にはその状況が浮かんで見えるんだ」と主張しています。史学は史料を基礎とするものなので、その時点でこの話は歴史学を越えてしまっています。

5,幾らなんでも江戸しぐさとは同列に扱うのはおかしいんじゃないですか?
「江戸しぐさ」の江戸っ子狩りは、会津での薩長の虐殺を強調しており、原田伊織氏とはよく似ています。

江戸しぐさでは「薩長は世界金融支配者の裏からの支援を受けて江戸っ子狩りを行った」としており、原田伊織氏は「坂本龍馬はグラバー商会の手先であり戊辰戦争を起こして金儲けを企んでいた」としています。

おそらく、戦後になって郷土史家が思いつきで発表した「会津観光史学」と言われる創作実話が、江戸しぐさにも原田伊織氏のサムライエッセーにも影響を与えているのだろうと思われます。

6, 参考文献が68冊もあるのですからその中には史料もあるでしょう。小説ばかりという批判はよくないのでは?


原田伊織氏の参考文献は『明治維新という過ち』では68点中35点(対談含む、51%)が小説家の手によるものです。同時代人が残した史料は『新撰組顛末記』わずか1点(これも大正期に新聞記者が取った聞き書きで信憑性はあやしい)です。古文書や当時の報道はゼロです。

参考文献の中で、原史料と言えそうなものはイザベラ・バード、永倉新八『新撰組顛末記』、『ベルツの日記』、山川菊栄『武家の女性』のわずか4点に過ぎず、うち幕末維新と直接関係するのは『新撰組顛末記』わずか1点です。

『ベルツの日記』を原田伊織氏はやけに強調しますが、この本は「日本人は過去の歴史を無視して嘆かわしい」という原田伊織氏にとって極めて都合のいい主張が出てくるので愛用しているようです。

当時の史料には、原田伊織氏の主張に全く合致しないものが多いのですが、そんなものは彼は使おうとしません。
「明治維新は土俗的な革命」だと述べ、明治の人々の江戸っ子的な気風を詳述するお雇い外国人のメーチニコフが書いた『回想の明治維新』(1888[明治21]~1889[明治22]のロシア紙の連載)や、

誤認逮捕された江戸っ子が自分と身重の妻を拷問した徳川幕府江戸町奉行所の理不尽さに怒り、
「実に徳川は亡びていい気味だと思うぐらいです」
と痛烈な批判をしている『幕末百話』(明治35年の報知新聞連載)は絶対に使わないと思います。
※ちなみに報知新聞は創業者も主筆も旧幕臣というガチガチの佐幕派。特に主筆の栗本鋤雲(くりもとじょうん)は、あの「鬼平」こと長谷川平蔵の甥。

幕末の徳川幕府はいろいろな面で統治能力を欠いており、特に法制や町奉行所は相当ひどいありさまで、明治政府になって改善されたために江戸っ子たちが喜んだ史実は今後も一切書かないと思います。

では原史料と小説家の本以外の本は何か?と申しますと郷土史家が書いたガイドブック類とどういうわけか民俗学の本、戦国時代の概説書など、幕末維新とどう関係するんだろうという本が多いのです。

戦国時代の概説書がなんで出てくるのかと言えば「長州テロリストと水戸藩は戦国時代に乱取りをしていた雑兵上がりのチンピラゴロツキの成れの果てであるから道徳観が薄く、平気で残虐行為をしていた」という原田伊織氏の説を補強するために藤木久志先生の本を持ち出したからです。徳川幕臣にも曲淵吉景(まがりぶち・よしかげ)のような雑兵上がりがいますし、「大名の先祖は野に伏し山に伏し」という古川柳を引用するまでもなく、出自定かならぬ武士はかなりいました。

特に江戸後期は農民出身や商人出身の武士が幕臣でも多く、元は豪農だった安生太左衛門の子で、火消し人足の上がりという噂まであるにも関わらず町奉行まで出世した根岸鎮衛(ねぎし・やすもり)や、庄屋の息子だった幕末の幕府歩兵頭取の古屋佐久左衛門、古屋の弟で奥詰医師の高松凌雲(たかまつ・りょううん)など、原田伊織氏流に言えば「道徳観念の薄い庶民出身者のにわかザムライ」は、幕臣でも数えればきりがないほどです。もちろん榎本武揚(父が庄屋の息子)や近藤勇・土方歳三(家はいずれも農業)はいうまでもありません。

つまり、原田伊織氏の「サムライエッセー」は、「耳ざわりの良い日本スゴイ論を基礎にし、適当な小説を組み合わせて、今の日本の悪い状態の責任を全て長州と水戸におっかぶせ、まるで鬼畜外道のように描写し、都合の悪い話は書かない」という、マーケティング的には大変優れたものです。ある週刊誌が早速飛びついて連載をもたせるのも分かります。

歴史を語るという上ではどうかと思います。「はちま起稿」「ウェルク」の歴史版と言ってもいいと思います。

7,長州が明治以降の日本を捻じ曲げて侵略戦争を始めたのは事実ではないのですか?
昭和時代の指導者の多くは長州出身ではありません。

例えば東条英機は南部藩士の出身、山本五十六は同じく長岡藩、米内光政は庄内藩でいずれも奥羽越列藩同盟側の人であり、長州とは全然関係がありません。

最近の伊藤隆氏らの研究では、長州出身の元老・山県有朋が日中提携論を唱え、アメリカとも対立すべきではないと平和主義を説いていたのに、どちらかと言えば奥羽越列藩同盟系の人々が好戦的だったことが分かっています。山県と共に平和主義を説いていた原敬首相はテロで暗殺されていますが、犯人の大叔父は旧高遠藩出身で、長州とは無関係です。八幡和郎氏は原敬暗殺には会津藩士の影がちらついているとまで述べています。

むしろ戦前は白虎隊はファシズムの宣伝に使われており、ファシストの首領の一人・イタリアのムッソリーニ首相やナチス・ドイツが白虎隊を賞賛するモニュメントを会津の飯盛山に建立しています。 反ファシズム闘争を云々する人たちが、この会津飯盛山のムッソリーニやナチス記念碑について不問に付しているのは一体どういうことなのでしょうか。

8,今の安倍政権は薩長政権だと原田伊織氏は断言していますが本当ですか?

安倍晋三総理大臣(先祖は長州藩士で吉田松陰に兵法を授けた佐藤信寛)が長州出身ですが、 薩摩出身者は閣僚・党三役まで含めてもゼロなので、なんでそういうのかよく分かりません。長州と薩摩の出身者が少なくとも内閣の殆どを占めていないと薩長政権とは言えそうもないと思います。

9,「攘夷」「維新」「国体」「志士」などの言葉は水戸学や長州テロリストの創作なのですか
これは、単純な誤りです。全て中国古代の漢籍に出典があります。

攘夷…『春秋公羊伝』僖公桓公救中國,而攘夷狄」(中国春秋時代の斉の桓公は中国を救い、夷狄を攘(う)ちはらった)

維新…『詩経』大雅「
周雖舊邦,其命維新。」(周は古い国家ではあるが、天命はいつまでも新しく、これからも栄えていく[諸橋轍次訳])

国体(
國體)…『三国志』文帝紀の裴松之注に引く『魏書』「文帝…其於聰明,通達國體」(魏の文帝曹丕[そうひ]は聡明な名君で、国の状況がよく分かっていた)

志士…『論語』・『孟子』など。朱熹は論語集注において「志士とは志がある士(下級貴族)のことである」と述べている。
 例えば、『三国志』・『文選』に載せる陸機『弁亡論』では、「是以忠臣競盡其謨,志士咸得肆力」(呉の孫策・孫権は優秀な人材を抜擢したので、忠臣は智謀を競い、志士もみな力を尽くした)とある。
 
謨は文選李善注によれば謀に同じ。いわゆる三国志の「軍師・名士」たちを「忠臣」と呼び、志士はこの文章の前半に「甘寧・凌統・程普・賀齊・朱桓・朱然の徒はその威を奮い、韓当・潘璋・黄蓋・蔣欽・周泰の属は其の力を宣べる。」とあるので、甘寧などの、呉の武将のことを「志士」と言ったのであろう。

いずれにせよ、江戸時代の武士であれば必ず読んでいたはずの四書五経や三国志が元ネタです。
10,教科書会社と原田伊織氏は関係がありますか?

実教出版という左派系の教科書会社があり、原田伊織氏を招いて話を聞いています。

地歴・公民資料81号(〈座談会〉「明治維新」の実相と歴史教育の課題を考える) 原田伊織・大庭邦彦

話の内容は、原田伊織氏の史観を聞き、教科書編集に役立てようというものらしいです。一つ、気になるのはこの出版社の人は史料と歴史小説を混同しているようで、原田伊織氏にも肯定的なのです。
このままでは原田伊織氏のサムライエッセーは史実として教科書に乗ってしまいかねないと思います。

「 幕末維新期を学習する際,「封建的な江戸幕府を倒した新政府が明治維新を成し遂げ,急速な近代化を進めて欧米列強の植民地化を免れた」という単純な図式で理解していないか。今回,『明治維新という過ち』(毎日ワンズ,2015 年)で問題提起をされた原田伊織氏と,幕末維新政治史研究も専門とされる大庭邦彦氏に,幕末維新の実像に迫っていただいた。

今回の座談会で,次の歴史を読み直す必要性を感じる。
1)小御所会議以降,徳川側の先見性ある挽回があったこと。それでは困る岩倉・西郷・大久保らが武力的反撃で強引に倒幕は進んだ。
2)奇兵隊はじめ,戊辰東北戦争(会津藩救済だけが目的)の際に「官軍」がどのような非道な態度をとったのか。

なお,安部龍太郎『維新の肖像』(潮出版社,2015年)では,長州藩が会津藩を徹底的につぶそうとし
た理由として,会津藩の松平容保(京都守護職)の信頼厚かった孝明天皇(公武合体を推進)を排除す
ること,イギリスとの密約(坂本龍馬はグラバー商会に頼まれてイギリスの「薩長同盟」支持を伝えた
だけ)があったことに触れている。」(前掲リンクより、丸付き数字は1)などに変更)

実教出版は、色々ある教科書会社の中でも左派色の強い記述で知られ、 「国旗・国歌法をめぐっては、日の丸・君が代がアジアに対する侵略戦争ではたした役割とともに、思想・良心の自由、とりわけ内心の自由をどう保護するかが議論となった。政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述が東京都や大阪府の教育委員会で問題になった経緯があります。

私の個人的な意見を述べますと、左派、右派の教科書が別にあっても問題はないと思いますが、史実を捻じ曲げるのは困るなあと思います。 

江戸しぐさは「逝きし世の面影」を誤読していた!明治10年頃に「江戸しぐさ」を心得た人々がいた?

江戸しぐさ伝説の中でも最もぶっ飛んだ主張をしている池田整治氏の文章の中に、以下の様な記述がある。
 行き交う人々は、江戸仕草の体現者であり、挨拶や話している様子も明るく、そこにいるだけで心温まります。野の鳥さえも人の肩に留まってさえずっています。一番気性の荒々しいと思われる船乗りが集まる船着き場に行ってみると、聞こえてくる言葉は、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」ばかり 彼らは、日本人が自分たちのことを南「蛮」人という意味がよくわかったと手記にも書いています。http://www.funaiyukio.com/ikedaseiji/index_1206.asp
池田氏はそれに続けて、この美しい江戸が「世界金融支配者の裏からの支援を受けた新政府軍の武士たちにより滅ぼされ、江戸しぐさの体現者は老若男女にかかわらず、わかった時点で斬り殺されていった」と主張している。
 ところで、池田氏の言う「江戸しぐさの体現者の美しい江戸」の記述の元ネタと思われるものを発見した。おそらく渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)であろう。
「楽しい群衆」のおとなしさ、秩序正しさについては、モースがたびたび述べている。
隅田川の川開きを見に行くと、行き交う舟で大混雑しているのにもかかわらず、
「荒々しい言葉や叱責は一向聞こえず」、ただ耳にするのは「アリガトウ」と「ゴメンナサイ」の声だけだった。
彼は書く。「かくのごとき優雅と温厚の教訓!しかも船頭たちから!なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来たったかが、段々判って来る
(原注:モース「その日」。同書162ページ)    
ここまで符合していれば、この描写の元ネタは『逝きし世の面影』であることはほぼ明らかであろう。しかし、実はこの話は、
江戸しぐさが明治新政府軍の江戸っ子狩りで消滅したはずの、明治10年頃の話でしかないのである。
 
なにしろ、渡辺京二氏が元の本で示しているように、この体験談そのものが明治政府に招聘された「お雇い外国人」の一人、東大教授のエドワード・S・モース氏が書いた「日本その日その日」のエピソードなのだ。モース氏の来日は明治10年で、有名な大森貝塚を発見している。その傍ら東京見物をしており、隅田川の川開き見物もその一環であろう。

それを池田氏はなぜか「幕末に江戸に来た人」だと誤解しているのだった。

菅野完氏の発言についての指摘~江戸しぐさは日本会議発祥か

菅野完氏の『日本会議の研究』という本が売れていると聞き、元の原稿やご本人の関連発言がネットで公開されていたので読んでみたが、色々と問題が多いことに気づいたので指摘したいと思う。
(※本稿執筆後、著者菅野氏より連絡あり表題を改めた)
指摘は多数あり、これは江戸しぐさや倉山満氏の批判をやった時以来の大掛かりなものになるであろう。

1,江戸しぐさは日本会議発祥か?

著者ご本人の発言である。しかしこれは誤りであろう。江戸しぐさのオリジナルコンテンツの開発元が日本会議であるはずがない。また、そもそも江戸しぐさはリベラル色が強い主張であった。

そもそも前提として、江戸しぐさは日本会議発足(1997[平成9]年5月30日)以前に既に存在していた。現在の形での江戸しぐさを広めた、越川禮子氏の『江戸の繁盛しぐさ』は1992年に出ている。

そして、既に原田実先生が名著『江戸しぐさの正体』(星海社新書)で指摘されるように、江戸しぐさ布教マンガ「江戸しぐさ残すべし」(みやわき心太郎作)では、安倍晋三氏への批判が行われ、「戦後レジーム脱却!憲法改正!」を怒号する安倍氏の似顔絵に「オンヤ?あんたまた長州藩なの?」「日本を戦争のできる国にしないで」というセリフまでついていたのである。日本会議とは真逆の主張である。

また、江戸しぐさを学校現場に取り入れる動きは、江戸しぐさ創始者・芝三光生前から存在していた。
そして、芝は日本会議及びその前身組織、神道系組織とは無縁であった。そもそも江戸しぐさに神仏に関するものは存在しないのである。

芝は、子供へ江戸しぐさを教え込もうという考え方をしている人物であった。そして、1985年(昭和60年)、跡見学園女子大学において「はたらくー江戸の職人の世界」という題で公開講座の講師も行っている。

「江戸しぐさは赤旗の人たちにも話した」「江戸しぐさを復活させるには民主党政権交代しかない」

その後を継いだ越川禮子氏も江戸しぐさを教育現場に普及させることに熱心で、自らこう語っている。
「私は『江戸の繁盛しぐさ』という本を日本経済新聞社から1992年に出させていただいてから16年あまり、いろんなところで日本人のDNAのことを話してきました。警察の幹部の方たちにも赤旗の人たちにも、左も右も関係ない。江戸しぐさは宗教でも思想でもないんです。江戸しぐさは日本人が暮らしの中で培ってきた生活信条なんです。癖になっていると言いましょうか、まさに日本人の感性そのものなんです。私たちがやっていることは日本人の基本に戻りましょう、という運動です」
これは、福田康夫政権下の2008年(平成20年)7月10日にはNPO法人江戸しぐさが、全国の小学生に作文を書かせた「わたしの『平成しぐさ・ふるさとしぐさ』コンクール記者発表」 で越川氏が話したことである。
(http://www.edoshigusa.org/activity/report/20080710/)
この記者発表では「朝霞第七小学校の「江戸しぐさかわら版」の復刻版」が出てきており、教育現場への浸透はそれ以前から行われていたことが伺える。

 ここでわざわざ江戸しぐさを話してきた人々の中に「赤旗の人たち」が出てくるのだが、事実、左派の議員経験者の中にも江戸しぐさに共感する人は存在しており、例えば民主党→生活の党→無所属のおくもとゆきこ氏(元広島県議会議員)は、2008年(平成20年)2月1日、ブログで以下のように江戸しぐさへの共感を述べ、江戸しぐさを復活させるために民主党による政権交代が必要だと訴えていた。(http://orange.ap.teacup.com/yukikokajikawa/48.html)
なぜ、こんな文明的に非常に洗練された「江戸しぐさ」が日本でなくなってしまったのか?と嘆かれている方も多いでしょう。 明治維新のとき、薩長軍が新政府を樹立し、官軍となると江戸っ子狩りが大々的に行われ、「江戸しぐさ」が摘発の目安となり女・子どもが狙われ、江戸っ子は難民となり、江戸から逃れて行きました。 薩長の田舎侍が江戸を乗っ取ってから、「江戸しぐさ」が廃れてしまったのです。 江戸には、「おつき合い講」があり「異国つきあい」「一見つきあい」など異文化・あかの他人といかにつきあうか人間の真価が問われていました。 江戸ッ子が「異国つきあいを知らない連中が天下国家を取って、うまくやっていけるんでしょうか。 これでは3代目にはエゲレスやアメリカと喧嘩をしてシャッポをぬぐことになりませんかね。」と嘆いた通りに歴史はなりました。
また、江戸料理は夫婦二人で作るのが原則でした。 明治維新で江戸の文化は影の歴史として葬られ、薩長軍による新政府が富国強兵をスローガンに男尊女卑の国へと作り変えてしまったのです。 江戸の人々は、目の前にいる人は仏の化身でみんな平等、誰から見ても弱者の立場の人に対して威張るのは最下等の人間として嫌われました。 江戸ッ子はしぐさは、世間さま(他人)を見て、自然に身についていくものだと考えて、見目かたちよりも身のこなし方や表情に重きをおいていました。 才覚のある人の芽をつまず、よそ者(新人)をいびらず、結果として世のため、人のためになる人材を尊重するリベラルな風土が江戸を268年も安泰にし、庶民が平和に暮らせたのだと私は考えます。
明治維新でお上から強要された薄っぺらな中身のない「文明開化」のメッキが140年もたつとボロボロになり、日本中を蝕んでいます。 明治維新・第二次大戦後に権力を握った人々が既得権を死守することだけ考え、生き残るためには他人を犠牲にしてもよいといいう排他的・特権階級意識の強い指導者をみると、東京は江戸よりも劣化していると感じるのは私だけでしょうか? 「自立と共生」の思想や相手への思いやりに溢れていたお江戸の伝統は、政権交代しなければ復活しないのだろうなぁ~と私は思います。(下線筆者付与)
おくもと氏の発言は、元々リベラルだった本来の江戸しぐさをそのまま受け取ったものであり、むしろTOSSなどによる「にわか講師江戸しぐさ」の方が改変されたものなのである。(この項続く)

付記)本稿執筆後菅野氏ご本人より丁重なご連絡を頂いた。「認識を改めたが著書に江戸しぐさについての言及はない」とのことである。念のため付記しておく。

江戸しぐさ批判批判に答えるーリベラル系からの批判ー

 江戸しぐさ批判をこのブログでも色々やって来たわけですが、「江戸しぐさ批判批判」というべきものが最近出てきました。例えば、「武田人間」というハンドルネームの方のこの意見がアマゾンレビューにありました。
キリスト教というのは古代ローマ時代に生まれた新興宗教なんだよな。で、やがてローマ皇帝に国教に指定してもらって今の地位があると。没落しかけた権力と権力から「お墨付き」が欲しい新興宗教側とで利害が一致したわけだ。 この辺の事情は自民党も同じで創価だの天理教だの実践倫理だのに「動員」をかけなきゃもはや権力を維持出来ないんだよな。だから多少、内容的に問題があっても保守的で穏健なら「江戸しぐさ」だろうがなんだろうが票欲しさに採り入れるのが合理的な判断だよなぁ。で、見返りとして教科書に載せてくれたりするわけだ。 だいたい江戸しぐさが妄想だっつうんなら国民国家も神道も仏教も禅宗も何もかも妄想だっつうの。ま、人間というものがたんぱく質の集まりに過ぎぬと考える人々にとってはすべからく妄想だろうけどね。しかしそういう人々は道端のお地蔵さんに対しても「それは石ころだ!」とかいちいち糾弾してんのかね。御苦労なこった。そんな労力あるなら宗教を票田にする自民党をどうにかしろっつうの。
 まあ、極端から極端に走る議論のようだとしか申し上げようがないのですが、個別に反論していきたいと思います。

>だから多少、内容的に問題があっても保守的で穏健なら「江戸しぐさ」だろうがなんだろうが票欲しさに採り入れるのが合理的な判断だよなぁ。で、見返りとして教科書に載せてくれたりするわけだ。

「江戸しぐさ」が教科書に載ったのは党利党略ではないか?というご意見ですが、こういうのは一種の陰謀論で、多分違うのではないかと思います。何故かといいますと、ではなぜ育鵬社本だけに載ったのか?というところが全く説明できない。山川出版社も政府の顔色をうかがっていないか?といえばそうでもないのですよ。政府寄りの見解を教科書に書いたりもしているのですから。育鵬社本の母体である「(一財)日本教育再生機構」に、江戸しぐさビリーバーが多かったことが元ネタだと考えております。

>だいたい江戸しぐさが妄想だっつうんなら国民国家も神道も仏教も禅宗も何もかも妄想だっつうの。

これは非常に極論ですね。仏教でいうところの「断見外道」に近い考え方ですが、これらのものと江戸しぐさを対置するのは、正直筋悪ではないか、と思いますね。  まず、「江戸しぐさ」ですが、このブログでも何度も言いましたように、飽くまでもある団体が勝手に述べているだけのもので、論としての成立も平成期と非常に新しいものです。また、これは「マッカーサーを崇拝せよ」「明治日本はけしからん」「江戸っ子は明治維新の時に大虐殺された」という、極端な主張を含んでおります。  神も仏も妄想ではないか!と言いたい方はご自由にどうぞと申し上げたいのですが、当方は仏教についてあまりよく分かっておりませんので、ある専門家の方の意見を引用したいと思います。  

「貪り、怒り、無知で悩んでいる人々がこころの中に限りのない欲望、願望、期待などで苦しんでいるのです。怯えているのです。わらにでもすがりたい気持ちでいるのです。 心の煩悩さえなくなれば何一つにも頼る必要はないのです。信仰する必要はないのです。」

「仏陀は悟りの方法を教えたので、何かに頼りなさい、何かを信仰しなさいと言わないのです。 それは仏陀の道とは違います。」(南伝仏教長老、A.Sumanasara師 http://www.j-theravada.net/qa/qahp27.html)

どんな仏教でも大なり小なり「煩悩の解決方法」を説いているのであって、それを妄想というのは甚だしく極端な物言いではありませんか。それが護摩であり座禅であり唱題行であったりの違いがあるだけではないかと思うのですが…

 神道については私はもっと不勉強ですから、これは何れ勉強したいと思います。しかし妄想というのはあまりにも言い過ぎでしょう。例えば、神社本庁では神道を以下のように定義しています。  

「神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。」(http://www.jinjahoncho.or.jp/izanai/)


 自然現象すら妄想と言い切り、江戸しぐさと同等とされる武田氏の精神力の強さには恐れ入りますが、私はそこまで言えませんので、これまでどおり仏教や神道を信じて行きたいと思います。 この武田氏、ありとあらゆるものに星1つのレビューを書き込んでおられるのですが、唯一星3つを付けたのが、土肥誠氏の「30分で分かるマルクスの資本論」だというところに、共産主義者なのだなあと思わざるを得ません。(なお、星4つは特殊な志向のものとゲームソフトでございますので伏せておきます)。

 そもそも、「江戸しぐさ」って資本家(!)たちが「わが亡き後に災い来たれ!」と叫んでいたのではないという、極めて資本主義的主張なのですが…

>しかしそういう人々は道端のお地蔵さんに対しても「それは石ころだ!」とかいちいち糾弾してんのかね。御苦労なこった。そんな労力あるなら宗教を票田にする自民党をどうにかしろっつうの。  

 そもそも、仏教も神道も妄想だと断じる武田氏が、逆に地蔵菩薩と称する石像を何故糾弾するのが良くないとされるのか、当方には理解できません。
 共産主義を奉じる無神論者の方であれば、断固宗教物は敬遠すべきなのではないかと思います。すなわち為にする論でしかないように思いますが、いかがなものでしょう。

 私はそもそも仏教の徒、神道の徒でありますから、地蔵菩薩像を糾弾したことなどないのですね。それから、自民党については今の経済政策は概ね問題ないものと思っておりますが、それ以上の感慨はありません。自民党を打倒すべきだとする武田氏のお話には従えないということです。

【トンデモない江戸しぐさ】直下型地震を予言する「ロクを利かせる」「なます講」

 私の記憶だと、直下型地震という言葉が一般に言われるようになったのは1995年(平成7年)1月17日に起き、甚大な被害と多くの犠牲者をもたらした「阪神淡路大震災」が契機だったと思う。

 ところが、 江戸しぐさではなんと江戸時代に直下型地震が知られており、それを江戸っ子が江戸しぐさで直下型地震を予知・予言し、対処するための「なます講」まで作られていたというのである!!現代の地震学もビックリである。
越川禮子『身につけよう!江戸しぐさ』KKベストセラーズ

P103 ◎地震にそなえた「なます講」

突然やってくるのが地震です。江戸の地震は六〇年に一ぺんは「なまずの天地がえし」といって、上下動の直下型地震と見極めて、城普請も石づくりの土台だけにしたといいます。倒れた時の圧死を防ぎ、下敷きになった人の救出や、後片付けを楽にするための配慮だったそうです。

建物もお城や大名屋敷には地震部屋、町には一定の間隔ごとに避震小屋に、はすかい(X字型)に組んだ支柱を入れるなどの建築様式を取り入れていました。

かねてより「なます講(「ず」と濁らない)」が編成されていて、ぐらっときたら「それっ!」と、直ちに救援活動、炊き出しが始められました。

いざというときにはマニュアルは無視して、「飛び越ししぐさ」で対処しなければならないのは百も承知。江戸っ子の身のこなしの素早さには定評があったそうです。

危急存亡の非常時には、お上は手が回らず、町方が自主的に協力しあい、相互扶助の助け合いがなければ命が助かりません。

こうした敏捷なおとなの行動を、後進の者たちは経験的学習から悟っていったのです。
江戸の教えに「稚児は予想できないから慌て、おとなは予想できるから慌てぬ」というのがあります。
これこそ江戸しぐさの真髄です。
ひと目先を読むひらめきを身につけるのが江戸しぐさですから。

これはちょっとあまりにもぶっ飛んだ設定で、当方も腰を抜かしたのであるが、しかし江戸っ子は何故地震予知が出来たのであろうか。

江戸しぐさでは、それを江戸っ子の超能力「ロク」によるものだとしている。
◎江戸しぐさ「ロクを養い、ロクを利かす」
「突然やってくる大地震を、ロクによって察知するとしないでは…ちがうでしょう?!」
江戸しぐさ
※越川禮子監修:新潟江戸しぐさ研究会構成・著、斉藤ひさお(マンガ)
マンガ版「江戸しぐさ」入門 より

そう、江戸しぐさは超能力だったのである!!もう、なんなんだか…
こういうものを教科書に載せる出版社も、なにを考えているんだろうか… 

なお、歴史的には江戸しぐさの伝承とは例によって反しており、
◎元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時に発生した元禄地震は、直下型ではなく関東地震(関東大震災)と同タイプの海溝型地震。
江戸の損傷は軽微だったが小田原宿では死者約2,300名という。

◎安政2年10月2日(1855年11月11日)の安政江戸地震で「町方の死者は4293人、負傷者は2759人(町奉行所調べ)」を出しており、ロクを利かせた江戸っ子がいたわりには、多数の死者を出している。
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